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「心地よい選択」で、自分の波動をととのえる



自分がどんなエネルギーを放出しているかなんて、普段は考えもしないのですが、よくよく考えると人は、その時々で、いろんなエネルギーを放っていると思います。


若石式リフレクソロジーや、天ジュラム®︎を学び始めてから、そんなような目に見えないエネルギーのことを「波動」という言葉で表現するようになりました。


あの人はよい波動を出している!

あの場所からは暗くジメジメした波動が出ている…

この服は、高波動だわ!

のように、使います(あくまで私は、です)

「波動」、それは目には見えないエネルギーの波、または、粒子、というべきなのでしょうか。
おそらくこのようなことを議論するのに適切なのは、量子力学の分野になります。


さいきん、スピリチュアル系のお仕事をされている方のブログや、Facebookなどをよく拝見するのですが、量子力学の基礎知識はもはや当たり前のことのように、頻繁に目にするようになりました。


さまざまな物理現象の最小単位である量子。電子やクオークなどの素粒子がそれにあたり、それは、目では捉えられないあまりにも小さな粒子たちです。
それはふだん自覚はなくても、この広い宇宙のそこかしこにたしかに存在しているものであり、私たちの肉体を構成する要素でもあります。


そしてその全ては常に、目には見えないエネルギーを放ち続け、振動し、互いに影響しあっているのです。

人間以外のものも「波動」を持っている、と私は感じています。たとえば電化製品、衣服、住居、食べ物なども。


地球という星に存在する、ありとあらゆるものが持つエネルギーの動き…
そんなふうに、感じ取っています。

自分のからだや、そのまわりにある物が、どんな波動を出しているか、ということ、
それが、うれしいのか悲しいのか、どんなパワーに守られていて、どんな方向へ向かっていくのか、
という、


そのイメージについては、よく、感じるのです。


おそらく私だけでなく、どんな人でも感じているはずなのです。


失恋したばかりの友達からは、悲しい雰囲気を感じるように、仕事で疲弊している家族からは、ダークな雰囲気を感じるように、


波動、という言葉、それはすなわち、その存在が醸し出す雰囲気そのものなのかもしれません。


ようするに、自分という存在がどう感じ、どう選び、どう生きていくかが、自分の波動の性質を決めていく、というのは感じるところなのです。
 

まずは、自分自身にとって心地よい選択を増やしていく、ということが波動を整えることにもなるし、大切なことである、と考えています。


たとえば、なのですが、

悲しい気持ちでまいにち過ごしていると、悲しい出来事が連続して起きることがあります。

自分なんてどうでもいい、と思って過ごしていると、自分がどうでもよく扱われることが起きたりします。 


さいきん、人から嫌なことを言われることが多かったり、迷惑なことをされたり、自分が納得できないようなことが連続して起きているなら、まずは自分が自分をどう扱っていたのかを、振り返るときかもしれません。


人間の気持ちの力とは、なかなかあなどれないもので、こころのなかに自分で強く禁じる要素があると、その禁じていることを周りの人が行って見せる、ということがしょっちゅう起きたりします。

何が言いたいかと申しますと、ちょっとわがままなぐらいがちょうどいい、と、わたしは考えていて、人目を気にしたり、これまでの自分の在り方に制限されて、「本当はこうしたいと思っていたのに、できなかった。それが人生なんだから」なんて、諦めた言葉を言って欲しくないなと思っているのです。


案外そのようにつぶやくことで、人のせい、社会のせいにできてしまうこともあるからです。


人生の全責任は自分にある、


何かをやるかやらないかも、自分の責任。


目の前で起きていることの全ても、自分の在り方を決めている自分の意識が映し出す世界であり、コントロールしているのは自分であることに気がつくと、ちょっと人生が楽になると思います。


相手を変えようとか、環境を1からやり直すとか、とても骨が折れるけど、自分のこころに沿う選択を、小さくてもよいので毎日積み重ねていくことは、案外できると思うんです。
 
 
1週間に一度くらい、コンビニでちょっと高めのスイーツを買って食べちゃう、とか、
1ヶ月に一回でも、仲良しの友達とめっちゃ楽しい食事会を開く、とか。
 
 
そんな、自分の心の中の願いを実現する「心地よい選択」をすることが、自分自身の波動をととのえて、ひいては、自分の暮らしやすい環境に自分の人生を整えていくことにつながるのでは、と思っています。
 
 
目には見えない波動なんて、関係ないわ!とかつての私なら思っていましたが、自分が良いエネルギーを発して歩く生命体だとイメージしたら、その周辺何メートルに良い影響があるんだろう?なんて、よく考えるのです。
 
 
ちょっとハッピーな雰囲気の人が町に増えていけば、よい波動が互いに振動し、共鳴して、いずれは地域が、国が、世界が平和になっていくのかな、と。
 
 
そんな、壮大なイメージを思い描いてしまうのですが。
 
 
波動という言葉は、ちょっと仰々しいかもしれませんが、自分が自分の人生の最高のクリエイターであることを忘れずに、「心地よいこと」を素直に積み重ねていく人がどんどん増えていくと、とっても素晴らしいなぁと思います。
 
 
もうすぐ満月🌕ですね。
昨日のお月様も、輝いてきれいでした。

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