共感は苦しくて美しい。 #日々のタイトル
「共感は苦しくて美しい。」
そんなタイトルをつけた、とある1日。
映画館に行って、どっぷりと作品の世界に浸るのが最高の時間である。
でも、お金もかかるし、疲れるし、とあれこれ理由を並べて、たまにしか行かないのが本当のところ。
それでも、この2ヶ月で私の固まった心を動かしてくれたのは、大きなスクリーンで観た映画たちだった。
私は涙脆い。
涙脆いを通り越して、泣きすぎる。
とくに、エンタメで心を動かされたときに、その感動を止める術を知らない。
ストレスが溜まると、あえて感動的な作品を見て号泣する。
作品と向き合うこと、泣くこと、それは私にとってかなり疲れることだけど、泣いて疲れて寝るというのが、ある意味で心をリセットしてくれる。
この2ヶ月で2本の映画を観た。
言うまでもなく、どちらも号泣した。
どちらも主人公の女の子が自分に似ていたから。
自分を見ているかという錯覚に陥るほどだった。
1つ目の作品の主人公は、怒りっぽくて、不器用で、限られた世界に生きている。
親の言うことを聞かなきゃと、自分の気持ちを押し殺す。そんなキャラクター。
もっと素直になろうよと思いながら、それをできない苦しさが痛いほどにわかった気がする。
もう1つは、人間の女子高生。本音を言えない女の子。
学園祭のシーンで、主人公がリーダーとして一生懸命に準備をして、まとまらないクラスに振り回られてきたのにも関わらず、ダンスの出し物を終えたクラスメイトから、集合写真のカメラマンを頼まれていた。
本当は一緒に写真に映るべき存在なのに。
こういうことあったなって。具体的には思い出せないけど、こういう場面、たくさんあったなって。辛いんだよなって。
どちらも共感したのは、淋しい気持ち。
主人公たちが本当に淋しかったかはわからない(もう1回じっくり鑑賞して考察したい)。
けど、私は彼女たちからそんな気持ちを受け取った。
淋しいという感情を抱えている人は多くいる。
でも、その淋しさをどう発散し、整理をつけていくかは人それぞれで。
淋しいを決して言い訳にしちゃいけなくて。
でも、その淋しいに少しでも共感して、寄り添ってくれる人がいたら救われる。それが大事なんじゃないかな。
こんなふうに映画を観て、共感して、涙を流す。
それは苦しいことだけど、流れる涙はきっと美しくて、浄化されたきれいな心と出会える気がする。そう思えた日だった。
あなたは今日という日に、どんなタイトルをつけますか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?