物語の中の”電話”の役割(後編)

(前編の続き→)

私自身、今ではすっかりスマホを手放せなくなってしまった。
知人との連絡はもっぱらLINEで済ませることが多く、スマホの電話ですら急ぎの用事がない限り使っていない。

*   *   *

もし「キッチン」や「落下する夕方」の舞台が現代だったとしたら。

互いにスマホを持っているなら、宿の人に取り次いでもらう手間もなくLINEで「どうしてる?」と簡単にメッセージを送れるし、ただいまの連絡もササっとできる。

でも、このように考えてしまうと、なんだか途端に味気ないような気がしてしまう。
たぶん、小説としての表現で、相手のことを想うがゆえの手間ひまが、随分と省略されてしまったような感じがするからではないか、と思う。

みかげは定食屋から、思い切って雄一の宿へ電話をかけ、雄一の生の声を聞いたからこそカツ丼を届けたくなったのだろうし、梨果は駅に並んだ公衆電話を見て、かつて恋人にたわいもない連絡したこと、まだ二人の間に温もりがあった頃を思い出したのだと思う。

電話は、メールやLINEに比べたら手間だ。
携帯電話のない時代ならなおさら。
まず電話を探し、電話番号を確認し、別の人が出たら取り次いでもらい、ようやく本人と会話ができる。
昔のドラマで、男性が恋人の自宅に電話をかけたら彼女のお父さんがでて、どぎまぎしてしまう……というような場面がある。
手間がかかるうえに、一か八かのスリルも孕む、これぞ古きよき電話の時代…!

そうした不便利さは、もう今の時代ではなかなか体感することができない。
だからこそ「電話ってなんか、いいな」と思ってしまうのかもしれない。

しかし、スマホで手軽に連絡ができるようになった現代を生きる私たちは、普段生活していて、「簡単に連絡がついちゃって味気ないなぁ」と思うよりも、「すぐに連絡できて便利だなぁ」と思うことのほうが、圧倒的に多いはずである。

「スマホの連絡、味気ない」と先ほど書いておきながら、私もスマホ機能の便利さに日々支えられている。
実際、「今から固定電話のみの生活を送ってください」と言われたら、相当戸惑うと思う。

だから、電話への憧れは、若干ないものねだりのような部分もあるかもしれない。

*   *   *

以上のもろもろを踏まえて、私は、小説の世界における連絡手段の描写が今後どうなっていくのか、すごく気になっている。

自分の体感として、Re:Re:を連ねたまま友達とメールのやり取りをしていた、あの行為ですら、すでにエモい。
今の高校生に説明しても「何それ?」と言われてしまいそうである。 

それだけ、連絡手段のギャップは世代間で広がってきている。

連絡先ひとつ交換するにしても、「電話番号おしえてよ」が「メアド交換しようよ」になり、最近では「QRコード、どっちが先にだす?」になった。

今後、物語の書き手は、こうした人と人を繋ぐ最初の部分の描写を、どう描いていくのだろう?

そういうちょっとした部分も気にしながら小説を読んでみるのも面白いかもな、と思う。




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