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‟旅行は遊び”と言われて感じた違和感


私は当初、金融業界にいた。

人のお金や人生をもお預かりする、大切なお仕事だ。

でも、心の中ではずっと「旅を仕事にしたい」と思っていた。

(詳細は以下の記事へ)

金融業界にいる傍ら、どうやったら旅を仕事に変えられるのか、模索する日々。

模索する中でやっていたことがインスタグラムの投稿だった。

私のなかではここ数年ずっと「インスタグラム=自分メディア=ポートフォリオ」になっている。

今でこそ、この認識が広まっている中、当時はその認識を持っている人は少なかった。

「インスタグラムの投稿=キラキラしている。ただの自慢。」

そう思われることも少なくはなかったのだ。


私はインスタグラムがお仕事に繋がっていくと信じていたし、

当時900人足らずだったアカウントでも、実際にお仕事が来ていた実績もある。

しかし、当時の私の仕事は金融である。

金融のお仕事と旅のお仕事との間で迷っていた当時、知人にこんなことを言われた。

・西日本で台風被害が大きかった時:「台風で大変な時、インスタなんて誰もみない。」

・インフルエンサーさんの話をした時:「私はその人のこと知らない。そんなちっぽけな世界目指してどうするの」

・旅の投稿をインスタでしていた時:「旅行にでて遊んでいる暇あったら勉強すれば?」


何も考えずに、インスタをただ更新していると思っていたのだろう。

私の思いも聞かずに、ひたすらに鋭い言葉を浴びせられた。



確かに言っていることも理解できる。

私の金融のお仕事の背中を押したかったゆえに、言ってくれた言葉なのかもしれない。

実際にかなり期待してもらっていた。

「かなちゃんの仕事は、人を救う、本当に素晴らしい仕事なんだ」と。

そんなことは承知でわかっていた。

わかっていた上で、葛藤し、悩み、苦しんでいたのだ。


「旅の発信は、自分の中で芯をもってやっていることのなのに……」

自分自身を全否定されたように感じ、悔しくて悔しくて堪らなかった。



私はいつの間にか旅を、消費者目線では見ていなかった。

「どうやったらここに来たくなるだろう?わくわくを伝えられるだろう?」気づいた時には、そんなことを考えている自分に気づいていたのだ。

だから、悔しかったのである。

「旅行は遊び。インスタは遊び」と言われて感じた違和感だった。

その違和感から、「この想いは普通ではない。完全に業界人の考え方になってきている。この想いは本物だ」と感じることになったのだ。



基本的に「旅行を仕事にしている」と言うと羨ましいと思ったり、遊び半分だと勘違いしたりしている人も多い。

ただ、そう思っているうちは消費者なのである。

「なんのために、誰のために旅を発信してるのか?」

ここを理解していない以上、「旅を仕事」にすることは難しいように思う。

仕事である以上、遊びではないのだ。

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