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「わたし」を描く指針

伊藤計劃氏のエッセイ、『人という物語』が好きだ。
好き、とは少しニュアンスが違うかもしれない。けれど、私にとって大切な作品だ。

「人は何故子供を作るのか」という疑問から、この作品は始まる。コストパフォーマンスの話を経て、人類の進化の話へ展開し、「わたしという意識」についての話が始まる。

私はこの作品を読んで、長年疑問だった「どうして人はかくのだろう」という疑問の、答えの一つを見つけた気分になった。

絵を描くことも物語を書くことも、「表現し作る」ということだ。言いかたは悪いけれど、私はこれを、とてもコストパフォーマンスが悪い行為だと思っている。

時間がかかって、そのくせ楽しみは一瞬で、命を削られるのかと思うほど苦しみを伴うこともある。
自分でも絵を描くし文章も書くのに、かくからなおさら、「何でこんなことを?」と思わずにいられない瞬間がある。

「人は何故子供を作るのか」がそのまま、「人はなぜ作品を作るのか」という問いかけのように思えた。
「人が伝えるのは遺伝子だけではない」と、氏は語る。人間が子供を作るのは、もっとも熱心で忠実な聞き手を求めるからなのだという。
語るとは、直接自分の人生を聞かせることではなくて、「生き様」を見せると言うことだ。

人間の人生の一端が描いてきた作品に宿ると私は思っている。見たもの、聞いたもの、感じたもの、それら全てが積み重なり、描き出されて「作品=物語」を作る。

「わたし」という人間が生きた物語を、私はこの世界に残したいのだと、その時ふと納得した。
だから、かくのだろう、と。

この作品の最後の氏の言葉が、私の中に宿っている。
祈りのような言葉が、つくることの指針となっている。

この物語があなたの記憶に残るかどうかはわからない。しかし、わたしはその可能性に賭けていまこの文章を書いている。

これがわたし。

これがわたしというフィクション。

わたしはあなたの身体に宿りたい。

あなたの口によって更に他者に語り継がれたい。

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