シリーズ「霊の中に生きる」 No.17人のからだ(1)
シリーズ「霊の中に生きる」 No.17
人のからだ(1)
死んでよみがえった初穂なる御子イェシュア
●聖書の最高の教えは『霊の中に生きる』ことです。
シリーズ「霊の中に生きる」の第17回目です。
今回から「人のからだ」についてです。
今日はその第1回目です。
人は三つの部分、すなわち「霊、たましい、からだ」(Ⅰテサロニケ5:23)から成っていることを聖書は語っています。
ですから、
からだを持たない霊的な存在である御使いたちとは大いに異なっています。
また霊を持たない動物たちとも明らかに異なっています。
人は「霊、たましい、からだ」の一つを欠いても「人」と呼ぶことができなくなるのです。
人の霊と人のたましいについてこれまで学んできましたが、霊とたましいを区別することも学びました。
ペテロがイェシュアに「あなたは生ける神の子キリストです」と言った時、イェシュアはすかさず、「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉(=つまり「人間」)ではなく、天におられるわたしの父です」と言い、しかも「あなたは幸いだ」と言っています。
その幸いな出来事の後に、イェシュアがこれからエルサレムの宗教指導者たちによって苦しめられ、殺され、よみがえるという預言的な話をした時に、ペテロはイェシュアをわきにお連れして(=引き寄せて)、いさめ始めます。
「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません」。
するとイェシュアはすかさず、
「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせる(邪魔する)ものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」と
言いました。
ペテロは自分の発したことばが、霊によるものか、たましいによるものか、全くわかっていないのです。
聖書は「霊とたましいを見分ける」ことの大切さを教えているのですが、もし、あなたが人のことばによって傷つけられて落ち込んでしまった場合、あなたはどう対処すべきでしょうか。
その逆の場合も然りです。
果たして神が言わせたことばなのか、サタンが言わせたことばなのか、それを見分けることができるでしょうか。
さて、今回は人の三つの部分のうちの「からだ」について話をしたいと思います。
人間のからだは現代においても知られていないことが数多くあります。
生物学的な人のからだについては医学で取り扱いますが、聖書における人のからだについては霊が取り扱います。
正確に言うなら、人の霊と聖霊がミングリングする(調合する)ことによって、人のからだについてはじめて正しく理解することができるのです。
「たましい」を表す「プシュケー」(108回)よりも、「からだ」を表す「ソーマ」(142回)の記述の方が多いです。
福音書では多くのいやしが示されていますが、その多くが肉体的ないやしです。
それらは「メシア王国が到来した暁にはこうなる」というデモンストレーションです。
人間はからだを持っていることで、いつかは必ず百パーセント死ぬ運命にありますが、神の福音とは「死んだからだが復活することで、永遠に神とともに住むこと」と言えます。
しかしこれまでの歴史の中で、死んでよみがえった者は御子イェシュアしかいません。
イェシュアはその初穂です。初穂とは、やがてこれに続く者がいることを示すことばです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?