『日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ』 シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 第五章 ①

『日本の残されし民より未来の全人類(選ばれし民)へ』 

シリーズ『出エジプト記』に読む神のご計画 第五章 ①

『“神に召された一人の偉大な指導者”が誕生すると、奴隷状況にあった一つの民族が解放されて、神の使命に生きる偉大な民族と変わりゆきます。

その最初の選びがイスラエル民族にありました』。

この五章ではいよいよモーセ(とアロン)がエジプト王パロの前に立って主のご命令を伝えます。

パロとの交渉(1) - 牧師の書斎 

5. パロとの交渉(1)その一

【聖書箇所】

出エジプト記 5章1節~6章13節

はじめに

5章1節~6章13節は、モーセとアロンが神に遣わされてはじめてエジプトの王パロの前に立ち、そしてパロと交渉する場面です。

モーセ(とアロン)エジプト王、パロの前に立つ!

しかしこのことによって想定外のことが起こります。

しかし神にとっては想定内のことであったのでした。

それに対処するモーセに焦点を当ててみたいと思います。

1.

パロとの交渉のキーワード

「シャーラハ」

שָׁלַח

エジプトの王パロとの交渉において、モーセはパロに「行かせよ」と要求します。それに対してパロは「行かせない」と断わります。再度、主はモーセに、パロのところに行って「行かせよ」と告げよと命じます。

ここで使われている動詞はすべて「シャーラハ」(שָׁלַח)で強意形のピエル態です。

荒野(三日間の距離)へ祭り(礼拝すること、民として主に仕えること)のために、「行かせよ」、「行かせない」のやり取りがなされました。

その結果、イスラエル人にはより過酷な状況がもたらされました。れんがを作る上で欠かせない藁(わら)を自分たちで集め、その上、同じ量のれんがを作らなければならないという過酷なノルマが課せられたのです。

モーセに対する民の信用と期待は地に落ちてしまいました。

2.

危機に陥ったモーセの対処

神のしもべとして、
あるいは民の指導者として重要な点は!

(神に聴け)聴従

危機に陥ったモーセが取った態度に注目しなければなりません。モーセは問題を人々や兄に相談することなく、自分を召し、遣わされた主に直接に訴えました。

このことが神のしもべとして、あるいは民の指導者として重要な点であると信じます。

多くの人々は問題にぶつかったときに、つぶやいたり、人に相談したりすることが多いものです。

ところがモーセは直接に神に訴えることで、より神の計らいを知ることができたのです。

『尋ね求めよ』

これは神の国(御国、神の統治、神の支配)の奥義を知る場合も同様です。

イェシュアは繰り返して「耳のある者は聞きなさい」とか、「聞き方に注意しなさい」と叫ばれました。その意味するところは、「尋ね求める」という聞き方です。

イェシュアの語られたたとえの意味を尋ねることで、弟子たちはその意味するところを教えられました。

それは旧約においても変わりません。

モーセは「なぜ」「どうして」と、主にその問題が起こる真意を尋ね求めたことで、さらなる神の計らいを知ることができたのです。

「アニー・アドナイ」「わたしは主(である)」

  • モーセに新たに啓示されたことは、「わたしは主(である)」(「アニー・アドナイ」אֲנִי יהוה)という神の自己宣言でした。これは神の啓示によらなければ絶対に知ることはできません。しかも「わたしは主」という啓示を受けたのはモーセが最初なのです。

イスラエルの民をエジプトから救い出したこの「主」(יהוה)という方が、イスラエルの先祖の神であること、そしてアブラハム、イサク、ヤコブとどのようなかかわりをし、しかもなにゆえにアブラハムが召し出されたのかという神の救いの歴史(世界の創造においても)にかかわることも、この主という方からの啓示によらなければ知り得ませんでした。

その意味では、創世記~申命記までのモーセ五書はモーセが書いたと言うことができるのです。

果てなき荒野の果てに

神の計らい』

「“今は分からないが、あとで分かるようになる”」

モーセは神の偉大なみわざがなされる前に、より困難な状況に置かれました。しかしそれも神の計らいであったのです。

それは「“今は分からないが、あとで分かるようになる”」のです。つまり、やがてパロがイスラエル人を出て行かせるようになる。パロが自分の国からイスラエル人を追い出すようになることを主は知っておられるからです。

「アニー・アドナイ」この方を知る!

『たとえ逆境の中にあっても』
『連れ出し』『救い出し』『贖う』お方

たとえ一時状況が悪くなり逆境の中にあったとしても、主の計らいは、ご自身の強い御手をもってイスラエル人をエジプトから「連れ出し」(「ヤーツァー」יָצָא)、「救い出し」(「ナーツァル」נָצַל)、「贖う」(「ガーアル」גָאַל)ことによって、「わたしが主であることを知るようになる」ことでした。

6章には5回(2, 6, 7, 8, 29節)この「アニー・アドナイ」が出てきます。この方を知ることが神の民にとって最も重要なことなのです。

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