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監督・脚本・撮影 上田義彦『椿の庭』(前編)


(DVD)『椿の庭』
監督・脚本・撮影 上田義彦
2021年劇場公開作品
発売・販売元:インターフィルム
本編128分


冒頭、何か赤い炎のようなものが揺れ、それがしだいに水草の浮いた水の中を泳ぐ金魚だとわかる。二匹いる。藤棚の薄紫の満開のフジが雨に濡れてかすかに揺れる(ここで音楽がはじまる)。ひとつだけまだ咲ききらない椿の赤い花。また二匹の金魚がぼんやり泳ぐ。赤やピンクや白の花が咲く庭の映像が挟まれて、またすぐに金魚にきりかわるところで《a yoshihiko ueda film》の白い文字。文字が消えるとともに画面は黒に。するとまた二匹の金魚が尾鰭を揺らす。金魚を掬い上げようとするような二つの掌。椿の蕾から咲いた花へ、そこから砂利の上へ落ちた花へ(ここで『椿の花』というタイトルの白い文字)。カメラは枯れて落ちた椿の花々の上を揺れる。一匹の金魚が小刻みに震える。木立ちの隙間から海が見え、音楽は消えて鳥の囀りと風の音が聞こえてくる(場所はどこだろう)。


タイトル画面
(TV画像を撮影)


木立ちの向こうに見える海
(TV画面を撮影)

画面左の遠くを見つめる着物姿の絹子(=富司純子さん)の横顔のあと、木々の間に広がる海。一艘の白い船が画面左から右へと進む。麦わら帽子を左手に石造りの大きな金魚の鉢を覗きこむ絹子。二匹の金魚、絹子の右手のアップ、一匹がもう一匹のお腹のあたりを口でつつく。麦わら帽子をかぶった絹子が小さな鎌のようなものを左手に、庭の落ちた枯れ葉を掻き集める。一匹の金魚が水鉢の中で白いお腹を見せて浮く。誰かが木立ちの向こうから歩いてくる。画面右の遠くを見るめる麦わら帽子をかぶった絹子の横顔。横向きになった金魚のそばをもう一匹の金魚が静かに泳ぐ。白地に紺の水玉模様のノースリーブの服を着た渚(=沈恩敬(シム・ウンギョン)さん、絹子の孫)が、おそらくは金魚の鉢を覗きこんでいるであろう悲しげな顔のカットが、すぐに葉を繁らせた初夏の木立ちの緑に切り替わり、葉々が風にざわめく音。ふたたび金魚。すぐに画面右から左下を向く絹子の横顔とその向こうに並んで左斜め下を向く渚の姿。渚が顔を左へ向けて、絹子の横顔を見つめる(このショットを最初に見たときには、絹子が右掌を自分の右頬にあてていると思っていたが、見直すとその手は渚の腕だった)。

絹子が移植ごてで庭の土に穴を掘る。青々と葉を繁らせる木立ちの葉擦れの音。石造りの水鉢の縁に横たえられた金魚のぷっくりとふくらんだお腹の白の上を蟻が這う。渚が鉢の水を両手に掬い、金魚にかける。一度、二度。絹子が椿の花びらの中に金魚を置く。細長い葉を這う蟻、鳥の囀りと木立ちのさわぎの中、絹子が椿と金魚を土に埋める。木立ちのさわぎが強まる中、絹子の右手が土に線香を一本立てる。葉をざわめかせる山の木々と青い空。

始まりのわずか数分の映像をDVDを止めては流し、巻き戻しては見て書き留めた。この数分のショットの積み重ねに、この映画全体のトーンが象徴されているように思う。二匹の金魚と椿の花へ執拗な往還、そして金魚と椿の埋葬――。

このあと、画面右下に斜めに映る瓦屋根とそれを蔽うような木立ちの葉の緑のわずかな隙間に、画面左上から歩いてくる人の姿が斜め上からちらりと映り、玄関先に正座している喪服姿の絹子、渚、絹子の娘・陶子(=鈴木京香さん)が丁寧にお辞儀して来客を迎え入れるやや長めショットに切り替わる。ここから物語がうごきはじめるようだ。読経の声と、奥から絹子、陶子、渚が右を向いた横顔。蠟燭の炎が揺れる。お坊さんへのお礼の後、「落としがあります、どうぞこちらへ」と客人を誘なう絹子。皆が立ち上がって部屋を出るなか、渚は足がしびれて立ち上がれない。陶子が渚の傍に寄って言う。「足の指を畳につけて、踵に体重をのせてみて。…(笑いながら)30数えたらいらっしゃい」。「ニジュハチ、ニジュキュウ、…サンジュウ」と数えて立ち上がり、片足ずつ膝を後ろに曲げて、畳の上を歩き出す渚。静かに映画が息づいていくようだ。

客人を見送った後、2階の自室に上り、姿見の前で絹子が喪服の帯を解く。そこに陶子がコーヒーを運ぶ。「もう四十九日が終わったのねえ」、(絹子の夫が最近、亡くなったのだと知る)。「おばさまたちも相変わらず、元気そうでよかったわ」「そうねえ」「母さん、この家のことなんだけど…、相続税のこと調べて驚いた。亡くなってから納めるまで10ヶ月しか時間がないのね。こないだも話したけれど、私たちのところに来たらどうかしら。いつまでも渚とふたりっきりで、この家に住んでるのも心配だし……。この一、二年のうちに姉さん、父さん(が亡くなって)……、とにかく一緒に暮さない?」。(渚は陶子の姉の娘なのだろう)。絹子は無言で鏡の前で着物を着替える。「新幹線の時間があるから、そろそろ帰るね」という陶子の言葉に、着替えて新たな帯を結びかけた絹子が返す。「だいじょうぶ。あなたにはあなたの生活があるのよ。それにね、私はこの家が好きなの、この家のことは私が何とかするから、心配しないで」。法事に親戚が訪ねてくるシーンと同じアングルで、瓦屋根と緑の間に現れる白い日傘をさした陶子が真顔で2階を見上げる。前の場面では薄い灰色だった屋根が青い。日傘を透かして光が、陶子の顔に水玉模様をつくる。陶子が立ち去ると、小さな枇杷の実がなっているようだ。木々の緑、屋根の青、日傘の白、枇杷の実の小さな橙色。

白い半袖姿の渚が石造りの金魚鉢の水草をちゃぷちゃぷしていると、絹子が2階から声をかける。「渚、お散歩にいかない?」「はーい」。白いブラウスに紺のスカートの渚が金魚鉢から立ち上がると、金魚が二匹、泳いでいる。向こうに海の見える細い路地。絹子が日傘をさして渚を呼ぶ。「渚ー、かけっけしない」「いいね」「ようーい、ドン」。渚だけ走り、絹子は走らない。振り返った渚が「おばあちゃ~ん」と促すと、絹子も小刻みに駆けはじめる。睡蓮の花が開きかける石造りの水鉢。

お猪口のような小さな器に水を注ぎ、遺影の前に供える絹子。急須からお茶を最後の一滴まで茶碗に注ぎ、絹子と渚のテーブルでの朝食のシーン。絹子が正面奥に、渚は右側の椅子に座っている。焼き魚、卵焼き…。渚は、箸づかいが少し下手で、日本語がよくわからないようだ。ふたりで新聞を広げて読むシーン(沈さんの素のままのような演技がすがすがしい)。藤棚のフジの花にクマンバチが来てとまる。大きな樹木と鳥の声。海。満開の白躑躅。軒先に揺れる簾。緑ゆたかな庭と遠くに見える海(場所はどこだろう)。

(絹子は着物の着付けか何かの先生だろうか)。着物姿の二人の女性が、お礼をのべて帰ってゆく。玄関に正座して「ごきげんよう」と見送る絹子。電話がかかってきて、絹子がやや声を低めて返答する。「はい、読ませていただきました」。

何か書きものをして、慌てて外出する渚。建物は日本家屋とは異なり、薄い水色のペンキが塗られた洋風のもの。(渚はこの家の別棟で暮らしているのか)。扉を出て駆け出すものの、「あっ」と短く声を上げて戻り、金魚の鉢をのぞきながら「パッ」と口を開けると、鉢の金魚もパクパクッと口を開ける。「ゲンキダネ」と言って庭を駆ける渚が、母屋に来て、電話中の祖母の様子を伺う。心配そうにしながらも、渚はガラガラと玄関の戸を開け閉めして出かけてゆく。

縁側(?)でハチが脚を攣らせて、息絶える。庭に落ちた花の上に横たわるハチ。(小さな生き物の死とささやかな弔い)。

夕食の場面。先の朝食の場面とは部屋が違う。絹子が正面奥、渚は今度は左側の椅子に座っている。焼き鮭に卵焼き…。渚がお新香を噛むような音。――夜、雷雨。稲光が走る。明けた朝も雨が続くが、やがて晴れて、海をゆく白い船。躑躅やフジの花びらが庭に散っている。

画面が暗転し、(季節が少しだけ移ったのか)、水色の紫陽花が咲いている。花の上にのっているのはナナフシモドキ(?)。海辺の映像、蓮の葉の上の雨蛙が跳ねて、暗がりで燐寸を擦り、線香に火をつけ、合掌する絹子。「お母さん、この花が大好きだったのよ」と傍の渚に語る。花は芍薬(?)。「お母さんなぜ、この家に帰らなかったの」と呟く渚。「いつかは帰ってくると思ってた」と答えて部屋を出る絹子。(遺骨となって帰ってきたということか)。悲しげな渚の横顔、母の遺影。庭の手入れをする絹子、アルバムの白黒写真を眺める渚、にわか雨、蹲、睡蓮鉢、水色の紫陽花にまだ虫がいる。(渚がアルバムを見ていたのは、2階の絹子の部屋だったのか)。2階に来た絹子を見て、「ごめんなさい」と慌てて戸棚にアルバムをしまい、部屋を出ようとする渚に、絹子がすかさず「渚」と呼び止め、戸棚からふたたび取り出したアルバムを「どうぞ」と差し出す。受け取ったアルバムを大事そうに胸に抱く渚。(渚の母親は韓国(?)で渚を生み、そこで亡くなったため、祖母の絹子が渚を引き取ったということか。父親はどうしたのだろう)。蜘蛛と葉先に雫をためた松葉。

場面が変わり、帰宅した渚が、玄関に揃えられた男物の黒い革靴を見る。眉間に皺を寄せた白い開襟シャツの黄(ファン)(張 震(チャン・チェン)さん、この人の役柄は何だろう)に、「売るってこと?」と絹子が尋ねる。頷く黄(ファン)。「考えられません。この家(うち)を売るなんて」と庭を見つめる絹子の目線に合わせるように、庭を見ながら黄(ファン)が言う。「この家の良さを、理解してくれる方が、必ずいると思います」。絹子のほうに向き直って、「僕にも多少心当たりがあります。……させてください(聞き取れない)」。染付の壺から垂れ下がる花のない蔓植物のような緑の向こうで扇風機が首を振る。「しばらく、考えさせてください」と頭を下げる絹子。「しかし、遅れると追徴税が加算されます。額が小さくないので」と黄(ファン)。困り果てた様子で、書類を手に肩を落とす絹子に、黄(ファン)が「気持ちはよくわかりますが、今できることは、それしかないと思います」と語りかけ、目を逸らす。廊下に佇む渚。細くしだれた枝に葉と疎らに小さなピンクの花を咲かせた植物が、庭に黒い影を落として揺らいでいる。

――この植物は何だろうと、植物博士のカメラマン「風月」さんに、画面の写真を撮って送ると、「たぶん『萩(ハギ)』ではないですか。映画の中の季節は夏から秋にかけてでしたか?」との返信。そこでネットで「ハギ」を調べると、「花の最盛期は初秋ですが、夏にもパラパラと咲いていることが多いです。花は蝶型の面白い形をしており、しだれる枝に控えめな感じで咲かせます」とあり。萩は秋の花だとばかり思っていた。映画のシーンは「夏」。萩(ハギ)の花言葉を調べると「思案」とあり、まさにこの場面に、ぴったりとあてはまる。

居間から出てきた黄(ファン)を見て陰に隠れる渚。玄関で靴を履き、黒いアタッシュケースを手に立ち去る黄(ファン)。寂しげに書類を開いて目を落とし、涙ぐむ絹子。椅子にもたれ、頬杖をつく絹子の様子を渚が伺いに来る。レコードが鳴っている。無言で、ブランケットのようなものを絹子にかける渚。庭には青い紫陽花。

果物ナイフでスモモをカットした渚が、ガラスの器入れて、テーブルに座る絹子のもとへ。「どうぞ」と言って自分も椅子に座り、ふたりでスモモを食す。「う~ん、おいしい~。スモモを食べるとね、また夏が来たとうれしくなるのよ」と微笑む絹子。睡蓮鉢の金魚のカットが挟み込まれ、夏の陽差しの中、庭の手入れをする麦わら帽子の男性ふたり。木の葉に残るセミの抜け殻。睡蓮が咲いている。青い海にいくつかの白い船。

細くしだれた枝に葉と疎らに小さなピンクの花を咲かせた萩が、庭に黒い影を落として揺らいでいるシーンを観て、

——し、しだ、しだれ、しだ、しだれ、しだれ、る、る、る、ほ、ほ、ほそ、細、し、しい、え、えだ、枝の、ゆ、ゆら、ゆら、揺らぎに、ま、ま、ま、まば、疎らに、は、は、はぎ、萩の、ちょ、ちょう蝶、萩の蝶が、さ、さ、さい、咲いて、いる。

この映画には「吃音的映像」と呼びたい美しい「揺れ」のシーンに満ちている。


地面に影を落として揺れる萩の花。
黄色い蝶が花にとまる。
(TV画面を撮影)

前編(了)

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