俗世依存性
どうも。
昨日の日記を書いていて思ったんだけれど、わたしの精神が安定して見えるのはおそらく依存先が多いからなのだろうね。
数年前のわたしは酷く精神不安定で、色々と大変だったのだが、誰かに精神的に依存していたい目にあうことはあんまりなかった(今と比べるとやや歪な友人関係―急激に仲良くなったと思ったらすぐに仲悪くなったとか―はあるけども)。
多分それって、他の物にめちゃくちゃ依存してたからかもしれない❕
あのときは全部のジャンキーみたいになってたし、今も物へ対する執着はほかの人よりも強い気がする。
好きな食べ物とか、好きな食器とか……
中学生の頃お気に入りの箸があったのだけど、わたしの箸だっていうのに父や弟が気にぜず使うものだからいつもイライラしていた。
そんなある日母が食器洗い中に箸を折ってしまって……わたしはどうしたかというと「お父さんと弟が使うからこうなったんや‼️」と当たり散らしドスドス泣き喚いて暴れた。お母さんが折ったのにね。
(そんなに大切なら自分で洗えばいいのにね……)
小さい頃お気に入りだった120cmのシミだらけのパーカーもまだ実家に取ってある。
誰かのお下がりのためとかでなく。思い出だから……🫂💭
自分にとっての宝物を集めて生きているし、それを奪われたら暴れてしまう。いまは大人だから暴れないけど。心は暴れてる。
精神が本当にダメだったときだけ、一度ほぼ全てのお洋服を捨てたことがあった。
ミニマリストになりたい🥺✨️と思って。
もっと精神状態が悪化した気がする。
やっぱわたしには散らかった生活が似合ってる。
落ち着くんだよなあ、ガラクタに囲まれてると。
ゴミに見えてもわたしには宝物なんだよな。
わたしは全部選んで生きている。これは母に小さいときからよく言われてたから守ってる素敵な言葉。
自分の人生なんだから自分で選びなさい、です。
親としてやや反対することもありつつ応援して見守ってくれる両親にBIG感謝🙏✨️
これからも好きなこと選んで生きてく。
それがここだし、キミだったのだ✌️😾
では。