願うこと。
これは、わたしが忘れられない、父方の祖母との会話。
小学校の国語の教科書で戦争のお話しを読んで、祖母に「戦争は怖かった?」と聞いたときに返ってきた答えだった。
祖母は疎開していた時期もあったが、たしかに東京で生まれ育っており、空襲も、(それなりに裕福だったが)食べたいものが食べられない思いもしていた。
もちろん、弟たちは出兵していた。
それなのに、祖母から返ってきた答えは「戦争自体を怖いと思ったことはない」というものだった。
幼いながらにわたしは、「それがなによりもこわいのではないか」と感じた。
今回の戦争でインターネットで「戦争の終わらせかた」を調べる子ども、親に「戦争はいつ終わるの?」と聞く子どもがいるということを知り、「あぁ昔のわたしがそこにいる」と思った。
もちろん、わたしは実際には戦禍におかれたことはない。
それでも、まだ幼いころはまだ銀座や新宿の街には傷痍兵がハーモニカを吹いて物乞いをしていることがあったし、ニュースをつけると流れてきた湾岸戦争。真っ暗な中もミサイルが飛び続ける映像は決して対岸の火事とは思えなかった。
教科書に載っていた『ちいちゃんのかげおくり』や『かわいそうなぞう』を読んだとき、読み聞かせで『猫は生きている』を読んでもらったとき、わたしは間違いなく空襲を“体験”したし、罪のない人々や動物が無慈悲に命を奪われるのを目の当たりにした。
そして、物心ついてから、人々の命はたくさん奪われたのに、歴史的建造物は破壊されなかったということを知った。(これは宗教戦争ではなかったからかも)
いちばん恐ろしいことは、罪深いことは、自分が自分でいること、アイデンティティを奪われることだと思っている。
人としての尊厳と自分の“考え”を奪われることだ。
歴史の授業でみた、日本兵がアジアの国々で母国語も名前も取り上げ、日本の教育を受けさせている映像を見て涙が出た。
ほんの数十年前、自分にとってゆかりのある土地に、旧731部隊があったこと。そしてその組織が行ったこと。人間を「マルタ」と数えていたということを聞いて鳥肌が立った。
映画ではユダヤ人の子どもが車道に泥水が溜まる大雨の中、歩道を歩かせてもらえないシーンを見て息がつまった。
どうか、今を生きる子どもたちの世界が「戦争が当たり前」の世界でないことを、自分の命に価値があると信じられる世の中であることを、祈らずにいられない。
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