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ウクライナの隣、ルーマニアへ行く


3月から1ヶ月間ルーマニアへ行きます。🇷🇴
東欧バルカン半島北部、ドナウ川下流域に位置する国。そして、戦禍のウクライナの隣国でもあります。

カンボジアに居た時に、募集を知り、準備をして飛び乗るように試験を受けました。助成金も頂けるとのことで、数多ある協定校の中から、ルーマニアの大学を選び、選考に通過🎫

表向きは、首都にあるブカレスト経済大学での勉学に励み、日本語教育のサポートに入ること。ただ、課外活動として許可も下り、私にとって主となるのは、「ルーマニアに逃げてきたウクライナ避難民の支援」です。NGOや民間が彼らをサポートしています。

何故ルーマニア?私の駆動力、また影響を受けたものは何か?

自分自身も、言葉として残しておきたくて綴ります。


①戦争や被害者への考え方

報道やネットで見る"何かの数"が必ずしも正義ではないこと、事実ではないことを、1年の留学を経て学んできました。

今回も時間とお金と力をかけて渡航する中で、明らかに以前と違うのは、胸が高鳴るような明るい夢ではなく、過剰摂取してしまう情報だけに埋もれ、そこに留まりたくない嫌気が、ルーマニアへ行く決断を促してくれました

そして「他と比べて、自分の国はまだ良かった」とか、そういう相対的な見方を、私はどうしても聞き流すことができないのです。

被害者というのは、決して相対化されない絶対的な存在なはずです。日常を奪われた人たちは、今何に怯え、何を安らぎに感じ、何を考えて生きているのか。

未だ知り得ない事柄や彼らの暮らしの本当の姿を見てみたい想いです。


②旧ソ連国であるウズベキスタンに居たこと🇺🇿

半年間のウズベキスタンでの生活を通し、ロシア人やウズベク人だけでなく、キルギス人からカザフ人、沢山の中央アジアの方々と関わり、
関係を作ってきました。

特に今回の戦争に関して、それぞれの立場からの異なる見解に、私は触れてきました。印象的だったのは、極端に見えるこんな意見。

「今回のことは、ロシアは悪くないよ。アメリカやNATOの責任だ。」

もちろん、旧ソ連時代の恩恵を受けてきた中央アジアの方々にとって、ロシアへの愛国心は当然のものです。ただ、世代や住んでる場所によっても意見は変容していきました。

また、中央アジアでの報道のされ方も、日本とは同じではなかった。

こんな風に、私はある意味多角的にこの戦争を見れたウズベキスタンでの経験があります。

まさに「一水四見」(いっすいしけん)

天人が見れば、瑠璃の鏡に見え
人間が見れば、飲み水に見え
魚が見れば、住みかに見え
餓鬼が見れば、炎に見える

物事を自己中心的に、一面で見てはならないという戒めた禅の言葉で、それぞれの背景や属性を理解した上で、物事を全体像として見ることをこの言葉から受け取ります。


そして、4月からはNGOに所属し、アルバイトとして、神戸にいるウクライナ避難民の支援活動を1年間する予定。ルーマニアでの経験を通して、もっと具体的に、生きるゾ。

                    完

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