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なぞの女、はじめました

その店の客は、なぜか一心不乱に丼に食らいついている。安くて早く出てくるのが売りなくらいの、町の古びた中華食堂だ。味も普通だ。だがなぜだ、皆まるで憑りつかれたようにむさぼり食っている。というよりもその丼と闘っているような殺気さえも感じる。

梅雨明けの発表もありそうなその日、オレはその謎の理由を知った。ちょっと早い昼飯にふとその店に入ろうとした時、店の外壁に真新しい一枚の貼り紙が目に入った。

「なぞの女、はじめました」

なぞの女、はじめました… どういうことだ、なぞの女… はじめました… 冷やし中華、はじめました、だったらわかる… 時期的にも。なぞの女、はじめました… 

店に入る。この日はまだ早いのか客は誰もいない。いらっしゃいと変わらぬぶっきらぼうな店主。いつものラーメンをたのもうと店主に声を掛けようとした時、店内のメニューの横にまたあの貼り紙。

「なぞの女、はじめました」

思いきって、店主に聞いてみた。すみません、なぞの女ってなんですか? 店主は、なぞの女はなぞの女ですよ、と素っ気なくに答える。オレはさらに混乱する。なぞの女… しばらく迷った後で、オレはなぞの女を注文することにした。

はい、なぞの女ね、と店主はこちらを見ずに答え、黙々と手を動かしている。何かを大きな鍋に入れ、何かを刻み、しばらくして、鍋から何かを取り出し湯切っているように見える。それを水道水でもんでいる。何が出てくるのだ。

運ばれてきたのは冷やし中華。あ、冷やし中華の事をなぞの女と呼んでたのか。でもどうしてだろう、店主に聞いてみた。これ冷やし中華ですよね、どうしてなぞの女なんですか。店主は、厳しい顔をして、なぞの女はなぞの女ですよ、と憮然と答える。え、オレは目の前の冷やし中華を見た。

錦糸卵の間から何かが覗いている。ドキリとして箸で錦糸卵の部分をおそるおそるつつく。するともごもごと盛り上がり冷やし中華の中で何かが移動している。そして今度は千切りのキュウリの間から確実にこちらを見ている。何がいるんだ。オレは、河原で石をどかして生き物を探すように、そっと錦糸卵やキュウリやトマトを平らげていく。

具が少くなり麺が顔を出した時に、隠しきれなくなったのか、その頭が露になる。長い黒髪の女。必死で麺の中に顔を隠している。誰なんだ、この女は。オレは尻尾をつかまえた気分で、黙々と麺をかき込みはじめる。そうか、これだったのか、誰もが一心不乱に向き合っているのは。

しかし、麺の量が少なくなるにつれて、女の姿も小さくなり、最後の麺を救いあげると不思議とその女は消えていた。オレは女の正体を突き止めようと3回挑戦して、3回ともその女を捕まえきれずに終わっている。

9月に入り普通の冷やし中華同様、その“なぞの女”も終わってしまった。絶対になぞの女の正体を、と来年の夏を待ち遠しく思いながら、オレはラーメンの丼の中をゆっくりかき回してみた。

             【おわり】


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