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海外出張に行ってきた(仕事編)

土曜に出発し、日曜に観光した大連出張。
月~水は仕事をした。(本来の旅の目的です)

通勤と朝の体操

ホテルから出張先の会社は近く、車で10分くらい。
ホテルから出て、同行者が通りでタクシーを拾ってくれた。

地下鉄の駅からたくさん人が出てくる一方で、車通勤の人も多いらしく道路は混雑していた。
多くの人が会社に向かう朝の出勤風景は日本とそれほど変わらなかったけど、スーツの人が少ないのが印象的だった。
中国では、普段スーツを着るのは役職者ぐらいらしい。

ホテルはマンションも会社も両方あるエリアだったので、通勤風景のふと隣に目をやれば、グラウンドで気功だか体操だかをしてる集まりがり、カオスで面白かった。

出張先は、大連ハイテクゾーンと呼ばれる地区にあって、ソフトウェア開発やIT関連企業がたくさんある。タクシーからパッと見ただけでも、パナソニックやアクセンチュアなど、大きい社屋が並んでいた。

ちなみに地下鉄の駅は会社の近くにないらしく、(たしかに山の中というほどではないけど、繁華街からは少し離れた山に近いところにあった)みんな会社が配車するバスか自家用車で通勤するようだった。
会社の敷地内には社員寮もあって、入社間もない社員は社員寮に入るらしい(窓からピカチュウがのぞいてた!)

大きすぎる社屋

社屋はここ10年ほどでできたところらしい。
めちゃくちゃ大きくて広い。従業員数は多いはずなのに、玄関ホールも廊下も大きすぎてがらんとしている。
「国が作った」とさらっと説明を受けたけど、「あ、国が作るんだ。中国っぽいな。」と思った。土地の所有権は全部国だし経済政策も国主導だろうけど、社屋まで作るのか。そういうのものなんだ。

玄関ホールと廊下は大きいけど、朝のエレベーターはしっかり混んでいた。エレベーター事情は日本と一緒なんだねぇ(笑)

コロナ禍のオフショア開発

取引先とはもう4年ぐらい一緒に仕事をしている。
コロナ禍の初期に始まったプロジェクトからだった。その取引先から出張で来て、日本で仕事をしている間にコロナ禍になり、かといって仕事も終わらず、簡単には中国に帰れなくなってしまった。そんな人が身近に何人もいた。

あの時期、中国ではゼロコロナ政策で、厳しく外出制限や入国制限をしていた。感染者はあれよあれよという間に日本の方が多くなってしまった。
まだワクチンもなくて、ご本人の不安はもちろんだけど、中国で待っているご家族はさぞ心配だろうなぁ。。と想像していた。

やっと中国に帰ったと思ったら(仕事上、どうしても帰らねばならない理由もあるので)、4週間のホテル隔離が必要だった。
オンライン会議は隔離先のホテルから参加。いまや笑い話だけど。
今回出張で4週間隔離されていたご本人に久しぶりにお会いした。
「大変だったよねー」と一緒に笑いましたとさ。

コロナ禍のオフショア開発は、今思い返すと本当に印象深い。
通常は、日本から開発部隊のオフショア先(中国)に何度か足を運んで、業務説明をしたり交流を図るが、コロナ禍ではなんにもできなかった。
いまそっちはどんなかんじ?と雑談しあう中で、時には正式な報告の中で、日本と中国の政策の違いを身近に感じた。

フードコートの社食

午前中は業務説明をして、お昼には社食に連れて行ってもらった。
社食エリアが2フロアあり、どちらのフロアも何店舗もあってフードコートみたいになっていた。
周りは山なので、みんな社食で食べるんだろう。
それにしても豪華すぎる。

おかずが並んでいるスタイルのお店で、パッと見ておいしそうだなと思ったところに決めた。
おかずを2種類と、米か饅頭を選ぶ。ごはん替わりの饅頭には何も入っていない。これは日本にないので、日本に滞在中の中国の人は、時々恋しくなるらしい。(トップ画像参照)
連れていってくれた人は、別のお店で米粉の麺を注文していた。

それにしても若い人が多い。みんな20~30代だろう。大学の食堂みたいだ。平均年齢は30代らしい。

昼食後は、みんな体を動かすために会社の敷地内を散歩するらしいので、連れて行ってもらった。同じようにグループで散歩している人たちをたくさん見かける。仲いいなぁ。

中国式接待

夕方、発注元である顧客が到着した。
発注元であるA社(日本法人)のプロジェクトのキックオフにあたり、その受注先B社の本社に視察にやってきた形。
私はB社側の人間として、発注元を接待するのだ!

ということで次回は、接待編です。


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