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今日、娘の中学卒業式。実は4月から早く卒業して欲しいと思っていた。

外では一生懸命なので、しっかり者と見られているが、本当は結構ぼーっとしていることが多い。家事をやり忘れていたり、ドジなことをよくしてしまう。4月の最初の授業参観で娘のクラスを間違えた。C組なのにB組だと信じ込んでいて、B組を見ていたら、隣のクラスから「お母さん!」と娘が呼んでいた。そこで気がつけばいいのに、隣がB組だったのかと思ってしまった。それは良いとして、その後のPTA総会。体育館に移動して名簿に丸をつける。B組の名簿に当然名前が載っていない。「娘の名前がないんです。」と言ってしまった。「そんなことありますかね?」と言われたが、まだ信じ込んでいて、先生は確認しますと言った。一度席に座って、そういえばスマホで確認できることを思い出して見てみたら、なんとC組だったことにやっと気がついた。どうしよう。今すぐ消えてなくなりたい。でも、間違えていましたと言うしかないよなと、観念して伝えた。まあそれだけのことなのだが、娘の名前を連呼していたため、とても恥ずかしい。娘の母はヤバいやつだと思われたに違いない。ああ早く忘れたい。もう早く卒業してしまえと思ってしまった。ちなみに娘にこのことを話したら、一言「どんまいっ。」と言っていた。おぉ、慈悲深いお言葉。許してくれるのだね。ありがとう。

そして今日がその卒業式だった。校長先生の式辞も来賓の祝辞も、型にはまった部分がありながらも、それぞれのお祝い、激励の言葉は力強く、優しく響いた。今までの時代は、ひとつの答えを早く見つけることに価値がある時代だった。これからの時代は答えのない課題に対して、自分の答えを創造していく時代だと。世界情勢も経済も不安定で難しい世の中を、どうか力強く生きていって欲しいと言っていた。本当にそう思う。この先、心折れることがあっても、挫けず、夢に向かって邁進して欲しい。月並みだがそう願う。親ができることは、微々たるものだ。ご飯を作って生活を整え、寄り添うことはできるが、学校や社会に出ていってしまえば、親の出る幕はない…。

在校生の送辞も、先輩たちに対しての尊敬の念と、思いやりに溢れていた。答辞も声優のような綺麗な声で、思い出と感謝を語っていた。泣ける…。いつもすぐに泣いてしまう。実は始まる前から泣いていた。会場の厳かな雰囲気と流れる音楽、壁一面を囲むように飾られた1年生の時からの各クラスの旗。それぞれが創造性に富んだデザインで、思いが込められている。そのエネルギーを感じると同時に、それらが振られた体育祭の風景を思い出したら涙腺が崩壊した。まだ泣いている人いないのに恥ずかしっ。娘の表情は仏頂面だった。まあいつもそんな感じ。帰りにはおとなしいタイプなので、ひとり寂しい感じになってないか心配したが、笑顔で友達と写真を撮っていた。良かったぁ。とても良い卒業式だった。

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