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最近観た映画を振り返って思うこと

こんにちは
りょーすけです。

今回は、最近見た映画を通して感じたことを、気ままに書いていきたいと思います。

最近見た映画は、「窓ぎわのトットちゃん」と「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」の2作品です。


Twitterなんかでもつぶやかれていますが、
この2作品は、似ているところがあると言われています。

それは、
どちらも戦争に関するものであることです。

この2作品だけではなく、
最近は戦争に関連した映画が多いとです。

「あの花が咲く丘で、君とまた出逢えたら」
「ゴジラー1.0」
など

短期間に同じようなテーマの映画が公開されるのも珍しいですよね。

現実的にも、ウクライナとロシアや、ガザ地区での紛争などが起こっていて多くのことが戦争とつながっているような気もします。

それがまず一つ感じたことです。

戦争とのつながりの他に僕が感じたのは、
上下構造への不満です。

もっと言えば、強い側が弱い側を虐げる構造への不満です。

ゲゲゲの謎で言うならば、主人公の水木でしょう。

彼は大東亜戦争に徴兵されていましたが、上官をはじめ、首脳陣がいい思いをして、
末端の兵士だけが戦場で戦わされる、そんな構造への不満を口にしていました。

トットちゃんでも、似たような描写があります。

戦争が始まって、食料が配給制になり、
以前よりもお腹を空かせるようになっていきます。

世間的には「ぜいたくは敵だ」とされ、○○が欲しいとか、○○が食べたいということが言えなくなっていきます。

それを象徴するシーンがありました。

トットちゃんと泰明ちゃんが、帰り道に「噛めよ、噛めよの歌」(ごめんなさい、曲名が分からないのでなんとなくで名前をつけました)を口ずさみながら、歩いていました。

通りがかったおじさんが、それを聞き、二人を叱ります。
「そんな卑しい歌を歌うんじゃない」
「君たちは、誇り高い日本の人間なんだから」
そんな感じで、一見やさしそうに諭しました。

おじさんは、そのままカレーとかラーメンのメニューが掛かっている食堂に、さも当たり前のように入っていきました。

二人からすると、叱られたことよりそっちの方が、ショックだったかもしれません。

口答えができない子どもには、強く言い、自分たち大人は(当時ではおそらく)贅沢な物を食べる。

これ、ゲゲゲの謎で水木が言っていた構造と同じじゃないですか?


今の日本では、戦争は起きていません。

ですが、今話したことと同じような構造が随所にみられると思います。

たとえば、コロナウイルス騒動です。
マスクをすることや飲み会や集まりの自粛が叫ばれました。

しかし、1年くらいたつと飲み会や集まりが少しづつやれるようになっていきました。大人は居酒屋に集まって騒いだりするようになっていきます。

反対に子どもたちはどうでしょうか?
学校にいる時は、必ずマスクをする。

昼ご飯は黙食。

運動会は縮小化して行う。

部活の大会は中止、もしくは縮小化。

戦争中であろうが、戦後であろうが、日本人は全く成長していないということが感じられます。

別の場所に目を向けてみましょう。

税金を取り上げられる国民がいて、それで懐が潤っていく政治家と官僚がいる現在なんかは、その典型でしょう。

国単位の話ではなく、学校や会社単位で言えば、パワハラやいじめにそれが現れています。

社会で言えば、炎上騒動とかもそうでしょうか?
不倫や失言で言い訳のしようがない人間を、全く関係ない赤の他人が集団になって批判するのがそうです。
あるいは、コロナ禍における自粛警察やマスク警察と言われたものも同じです。

家族単位でもあります。たとえば「誰が飯を食わせてやっていると思っているんだ」という亭主(逆も同じ)であったり、「誰が塾に通わせてあげているんだ」といって、子どもに勉強を強制させる親なんかもそうです。

すべて、強い側が弱い側を虐げる構造がそこにあります。
場所や時代や範囲が少し違うだけです。


ですが、それは何が悪いとかでもないように感じます。

現代は男性性社会であり、その息苦しさに耐えられなくなった人たちが、引きこもりや不登校になっています。

男性性社会とは、一言で言えば力こそすべての社会です。
権力があるヤツがエラい
金があるヤツがエラい
学歴があるヤツがエラい
能力があるヤツがエラい
才能があるヤツがエラい

そういった風潮は、すべて男性性社会によるものです。

そして、その基準から漏れてしまう人が必ず出ます。

全員が全員
その基準に当てはまるわけではないですからね。

そういった人たちが、不登校や引きこもり、あるいはうつ病になってしまったりするのです。

強い側が弱い側を虐げる構造は、
力こそ全ての社会が、もはや末期に来ているものだと思います。

その歪みが現象(引きこもりやうつ病)として出てしまっている。

二つの映画は、その歪みの断末魔を代弁しているのかもしれないと感じました。


トットちゃんは、戦時中を生きた子どもとして、
ゲゲゲの謎の水木は、戦場から生き残った兵士として描かれていました。

それぞれの角度から、
戦争がいかに愚かであるかということと、
強い側が弱い側から虐げる歪んだ構造への不満
が描かれているように感じました。


今回は少し、社会批判のような記事になってしまいましたが、自分が映画を観て感じたことをありのまま書いてみました。

あくまで、一つの解釈ですので絶対ではありません。

もしこれらの作品を観たことがないという方がいたら、実際に観て自分なりの解釈を持っていただけたらと思います。

本日はこちらで失礼します。
ありがとうございました。

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