毎日じわじわ自分と心中しているようだ[流月]

みじん切りが、好きだ。
玉ねぎでもにんにくでも大根でも生姜でも、なんでも良い。
みじん切りをしていると心が落ち着くし、気持ちが整理されていく。
「気持ち」と言うクローゼットの中のたくさんの箱の中に、いろんな思いや感情が魔法のように終われていく。

最近の私が作るご飯はみじん切りを施したものばかりで、餃子、ハンバーグ、蒸し鶏のサラダ(玉ねぎ、生姜のみじん切りドレッシング大量がけ)、トマトのサラダ(玉ねぎ、大根のみじん切りタルタル大量がけ)、みたいな。

「どうしてみじん切りが好きなの?」と聞かれた時、何も考えずに「終わりがあるから」と返した。今更だけどこれは答えになっているのか?

仕事に出る機会が増えた私はほとんど毎日と言って良いほど外に出て仕事や予定をこなしている。
朝早い時間からの移動や打ち合わせ、外に出ているついでに連絡をして会うことになった久方ぶりの友人。ランチだけの時もあるし夕飯がてらお酒を飲むこともある。

時に、時間に縛りがあるのはとても動きやすい。
「明日朝早いから」
「このあと仕事があって」
「仕事の準備で買い物に行かないといけないの」
これがしたい、あれがしたい、と思うよりも先に「やらないといけない」ことがある。
だから、「帰らないといけない」し、「行かないといけない」。

起点にはいつも誰かが居て何かがあってそこに自分の意思があって。
璃月の友人、ないしは幼馴染?は、そこに自分の意思しか無いのだろうな、と思うと同時に、
璃月の起点にはちゃんと誰かが居て何かがあって璃月の意思があって、だから、「帰らないといけない」し、「行かないといけない」んだよ。
今の璃月はボロボロでも這いつくばってでも、顔に泥がついてたって前を見ていて少しずつでも動いている。
「璃月が休みたいから」
「このあと彼と過ごすから」
「生きる準備を着々と進めているから1人にして」
だから、「帰らないといけない」、「行かないといけない」。

「〜〜〜〜〜いけない」と言う言葉は半強制的な言葉であまり好きでは無いけれど、ちゃんとその幼馴染を置いて璃月は前に進んで良い。

今の私は、なんだか毎日じわじわと自分と心中しているよう。
体調が悪くなるのを分かっていて予定を詰め込んで仕事を増やして心だけあげて。
限界まで行ったら、限界を超えても良いと思いながら生きていて。
少しずつ弱まっていく生命力に小さく絶望しながら、それでも取り急ぎやらないといけないことがあるから、帰ってきている。

調べたら心中って、
男女が互いの愛情の変わらないことを示すため、いっしょに自殺すること。情死。「―をとげる」。また、深い関係にある、または同情している者が、いっしょに死ぬこと。
なのね。
それなら「自分を少しずつ刺し殺している」とかの方が正しいかしら。

なんだか璃月の文章を読んでいたら、傷付いているのに傷つき切れていないような、そんな印象を受けたので前の交換日記から少ししか経ってないけど作業の休憩がてら書いてみたよ。

それでは!

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