見出し画像

幽霊、死人、死に損ない|村上航『チャイナタウン・ビギナー』書評

 『チャイナタウン・ビギナー』は二篇の短歌連作から成る村上航の個人誌で、二〇二三年九月の文学フリマ大阪11で頒布された。最初の「チャイナタウン・ビギナー」は、書下ろし連作で、中華街を舞台に、犯罪組織に属する主人公を描いた明らかなフィクション(虚構)である。つぎの連作「絶滅」には明確なストーリーがなく、会社勤めで恋人のいる主人公の生活を描くといったところか。ちなみに、「絶滅」は第六十六回「短歌研究新人賞」の最終選考まで通過している(『短歌研究』第八十巻第六号)。
 「チャイナタウン・ビギナー」がどういう連作か、言ってしまえば「死に損なう」話である。作中「死」は直接的に、間接的に様々な形をして現れる。短歌連作という形式上、曖昧な部分もあるし、計算嫌いの私のことだから勘定の正確さに欠けるものの、「チャイナタウン・ビギナー」では少なくとも四人は死んでいる。そんな不条理な状況を主人公は生き残る、否、死に損なう。

礼を言うこともできずに brilliant 死に損なった俺に朝焼け

p.35

 拷問に遭い、助かったあとの一首。brilliant(すばらしい)とあえて英語を挿入することで「朝焼け」がより皮肉に響く。ところで、「生き残る」と「死に損なう」とはなにが違うのだろう。結果としては同じだが、自身の経験をどう評価するかの違いにある。たとえば、つぎの歌。

盛り塩を蹴ったしょうもない人生でございますけども洞爺湖 

p.29

殴られて恥ずかしかった 向こうから近くからずっと爆竹の音 

p.34

 他人(この歌の場合、恋人)は死んで、自分が生きているやりきれなさ。他人は死んだのに、自分は生きて醜態を晒すことの恥。そうした感覚をもつことが死に損なうことである。

幽霊を見ながら食べて生地だけになってしまった煎饼果子

p.9
「煎饼果子」に「ジェンピンクゥオズ」とルビ

 そして幽霊を見る。読者にとってなにの前触れもなく。唐突に。これは死に損ないの強迫観念ではないか。自分の彼岸にある幽霊の存在に気を取られてしまう。連作では、幽霊ではないが、マネキン、北京ダック、悪臭、廃棄される薔薇が(演出過剰のきらいはあるものの)死体やこれからの死を連想するものとして配置される。死に損ないは、死に損なっているがゆえに、死や死人を意識しつづけ、幽霊を見る。
 「絶滅」においても、読者は幽霊を突然目撃することになる。連作は次の二首から始まる。

幽霊のdoggy style 検問をしずかに終えて角を曲がった 
現像をビックカメラに頼んだら2時間でそれで行くラブホテル

p.40

 「幽霊のdoggy style」は唐突かつ強烈だ。そこから二首目に移るとき、写真やラブホテルにも幽霊の影がちらつくのは読み過ぎだろうか。「チャイナタウン・ビギナー」と同様、死や死人、あるいはその気配が本連作に示される。

救急車来るから端に寄っておく 手コキがいちばんいいんだよな 

p.43

デモ隊の死者数を告ぐ音声に字幕が遅れてくるnews zero 

p.46

 救急車に示唆される生死の瀬戸際にある人間の存在。報道される死者たち。では、「絶滅」も死に損ないによる死へのオブセッションなのか。これについては、違うと言いたい。

大学に通っていたのに俺たちはそろいもそろって情けないなあ 

p.45

密造酒飲み干して仕事辞めるかもって言ってる 辞めたらと応える 

p.46

よく知らないやつと乾杯しておいた神仏習合みたいなノリで 

p.49

 どれも良い歌だと思う。「情けないなあ」という恥の感覚をさっぱりと詠んでいる。現状に満足しているわけではないがノリで受け入れる。たぶん仕事も辞めない。死に損なうというほど強い無念もなければ、生き残るというほどの気迫もない。強いていえば、生きている。それでも言葉が強ければ、死んでいない、である。連作に配置された死や死人は、生きている者たちに影響を与えない。「手コキがいちばんいいんだよな」という表明や「死者数」に対置される「zero」から言えるのは、通り過ぎていく救急車も、流れるニュースも、むしろただただ他人事である。「チャイナタウン・ビギナー」が完全なフィクション(虚構)の手法で作られたのもここに通じるように思える。つまり、死はいつでも自分たちの外の出来事だ。「死んでいない」者たちは死を意識しない。連作にとって、死の気配は、いずれ人間は死ぬという事実をときおり告げるいわばノイズであり、ノイズに過ぎない。

絶滅はかなり立場が違う者から向けられる言葉だもんな 

p.42

 「死んでいない」という態度は明るくて、強かだ。踏ん張らずに、踏ん張るというか、先述と矛盾した言い方になるが、生き死にを意識しないのは一つの生き残り戦術であると思う。とはいえ、この態度がとれる人間は限られた「立場」であるのも事実だろう。その点について「絶滅」は、絶滅しない方の立場から注意を払っている。

(文・景川神威)

村上航『チャイナタウン・ビギナー』(二〇二三、個人誌)
通販はこちら↓
https://booth.pm/ja/items/5087067


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?