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【降灰記file.03】君を死なせて森羅万象ふるようなスノードームを買いに行きたい(服部真里子)

君を死なせて森羅万象ふるようなスノードームを買いに行きたい

服部真里子『遠くの敵や硝子を』(2018年、書肆侃侃房)

 君を死なせることよりも、森羅万象が降ることよりも、読んでいる途中まである程度想定していたそれらのサイズが、四句目でスノードームサイズにまで縮小することに驚く。スノードームに閉じ込められた二つの事象は、「買いに行きたい」と願望の形で書かれることで二重に閉じ込められる。イメージとしてはもこもことした漫画の吹き出しに、スノードームの絵が描いてあるような。それを歌として読者が読むことを想定したら、三重構造となる。「死」や「森羅万象」という大きな事象がどんどん遠く、小さくなっていくことにこの歌の快楽がある。無限に小さくなっていくものに惹かれてしまうのはなぜだろう。
 ところで、短歌=スノードームと捉えてみても良いと思う。そこには「森羅万象」が入るし、入ってもまだ余裕がある。あと二十四音埋めてもいいのだというのは屁理屈だが、この歌から言えるのはスノードームには外側という余裕があるということだ。ただしその外側から内側を見ても、内側から外側を見ても、景色は必ず硝子のせいで歪んで見えている。
 君の死から再生を思わせる森羅万象の降臨もイエスの復活の変形と言えそうだし、スノードームも雪の偽物だ。「ような」「たい」からは、感情をやや間接的に表現しないといけない屈折を思わせるし、定型との折り合いのようにも思う。様々な場面や感情、事情が、短歌によって少しずつ歪められている。それを復元してみせてもいいのだが、そうした復元図はなにか足りていないから不思議だ。

(服部真里子の歌はまた取り扱うかもしれないです。)

文・景川神威

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