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【降灰記file.05】焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き(俵万智)
焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き
「サラダ記念日」の歌(注1)のサラダは、実体験では唐揚げだったというエピソードが、一部では共有されている。確かに、唐揚げ記念日だと野暮ったくて、生々しい。生活感を脱臭するような言葉のスタイリッシュな操作が、俵万智の得意とするところだと思う。「カンチューハイ」の歌(注2)もそう。「カンビール」だと台無しになる。
しかし、私が俵万智に惹かれるのは、むしろ生々しく言葉が張りついている歌だ。掲出歌の場合は「焼き肉」。「子供の好きな食べ物を考えてください」という問いに対して、「焼き肉」との回答は、実際に子供が言いそうでいながら、大人の死角を突いており、歌の中で精彩を放つ。たとえば、これが「ハンバーグとお寿司」なら、とても退屈なものになっただろう。「焼き肉」の強度が、歌にリアリティを感じさせる。
危ない歌だと思う。少女への一方的な対抗心の大人げなさに困惑する。同歌集で作者は〈「君に食べてほしい」と言われ味わえりアイスクリームは何かの隠喩〉(p.99)などと詠む。その上で、食べ物と性愛が一首の中で並べられている。危ない。けれど、その危なさも「焼き肉」が担保しているように見える。言葉のリアリティが、歌を生々しくグロテスクな様相に変えている。「サラダ」とは真逆の効能だ。
注1
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
※1987年に同歌集を文庫化したもの
注2
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
(こうしてみると俵万智の歌は、相手の会話に対して多くは無言の応答をしているように見える。ものを言えない立場にいる/いさせられている。)
(文・景川神威)
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