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【降灰記file.13】百年の半分というそれだけで急に真顔になる五十代(佐藤りえ)

百年の半分というそれだけで急に真顔になる五十代

佐藤りえ「真顔」『チメイタンカ①』(2023年、フリーペーパー)

 五十歳が百歳の半分だと気付いたとき、どういう反応をするだろうか。長いな、と思う人もいるだろうし、あっという間だな、と思う人もいるだろう。しかしこの語り手の「真顔」はどっちでもない中間の感情のようだ。真顔とは真面目な顔つきのことだが、これまで五十年間のことを振り返り、これから先のことを考える表情だと言える。過去を顧みれば短く、未来を思案すれば気が遠くなる(逆も然り)。そんな顔だ。
 「人生百年時代」などとおおよそ人間の寿命として百年が設定されている。実用上、時代の区切りとしても便利だし、人間が一つの歴史を生きると言うのには最適な数字である。とはいえ、それは便宜的なものであって、百年も生きられるような長命な人間の方が少ない。だからこそ、百年という数字になにか幻想を見出してしまう。真顔になるのもわかる。半分まで達成した感慨と困惑。

幻視せよアコーディオンを百歳ってこれくらいってひろげた腕に

平岡直子「鏡の国の梅子」『外出』二号(2019年、同人誌)p.23

 百歳といえばこの歌を思い出す。百という範囲には「これくらい」とバッファーがあり、さらにその位置に幻のアコーディオンが代入される。一方で、掲出歌は0から100までの数直線がしっかり設定されていて、50の位置に自分がいることをはっきり意識しているのが対称的で興味深い。5首連作で「十代」、「二十代」……と詠みこんでいくつくりもその印象を強める。100の半分の地点をしっかり「真顔」がピン留めしている。

文・景川神威

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