【一首評】押し入れの内側で見る光のようしぜんとあそぼのテーマソングは/海吉行平

押し入れの内側で見る光のようしぜんとあそぼのテーマソングは

海吉行平「辰年」『よるるべvol.1』(ネットプリント)

 たとえばこの歌。

奥行きに進めばずんずん暗くなるSASUKE 窓には小さなつらら

 ここで言う「SASUKE」とはテレビ番組のことで、ざっくり説明すれば芸能人や公募から選ばれた視聴者が巨大なアスレチックに挑戦するという内容のもの。歌は最初、SASUKEの挑戦者視点で進んでいく。「ずんずん暗くなる」という描写は、単に視覚情報だけでなく、ステージをクリアしようとする挑戦者の緊張まで伝えている。しかし、歌は一字空けののちに一転し、視点がテレビの外の人物のものに移ってしまう。
 没入感と疎外感といった相反する心理状態が、歌の中に同居している。物理的・心理的奥行きに入り込みながら、同時に自分自身はその外側にいることに気づく瞬間の不思議さ。幽体離脱の疑似体験に近い。

 最初の歌に戻ろう。テレビと主体における没入と解離の関係が、押し入れの中から見る光に喩えられている。と同時に、比喩の方にのみ注目すれば、これは世界と主体における没入と離脱の関係についても言っている気がする。押し入れという世界の外側から覗きこむ感覚。押し入れという空間は独特だ。温度や湿度、明るさ、においが違って妙に居心地が悪い。あそこから、外を眺めていると自分が一旦世界から離れてしまったように錯覚する。児童書において押し入れの中が怪談や冒険の舞台になるのは、そこが異界だからだろう。
 ドラえもんが押し入れで寝起きをするのも、彼が22世紀から来た「よそ者」だからではないか、とは余談だが、「しぜんとあそぼ」が子ども向けの番組であることを考えれば、子ども時代に相対して未来にいる主体が過去を覗き見している歌にも見える。それにしてもこの居心地の悪さはなんだろう。自分が映ったホームビデオを見せられているときの違和感に似ている。画面に映っているのは間違いなく過去の自分なのに、現在の自分は外側にいる。そんな落ち着かなさだ。
 「SASUKE」や「しぜんであそぼ」という番組の選択も含めて、歌はどこか懐かしさを感じさせつつ、でも懐かしさとは、こういったもどかしさのことを指すのだと気付かせる。

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