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【降灰記file.09】水紋はひとさしゆびに吸いこまれ薄明かりの絵画botの停止(平岡直子)

水紋はひとさしゆびに吸いこまれ薄明かりの絵画botの停止

平岡直子「歯車」『現代短歌』2023年11月号(No.99) p.99

 短歌をする人には好きなモチーフがある(こともある)。たとえば、雪、光、火、そして水、などである。以前所属していた学生短歌会ではそれぞれの偏愛の傾向を指して「〇属性」と言ったこともあった。そうした好きなエレメントを起点に歌をつくることもあるだろう。
 平岡直子「歯車」では歌がすべて「水」から始まっている。仕掛けとしては、初句が全部「たのしみは」から始まる橘曙覧「独楽吟」を思わせるけど、「歯車」では「水」というエレメントの意外な可動域の広さを見せている。たとえば、「水族館」「水門」「水中花」などの歌がある一方で、「水餃子」「水掛け論」「水を打った」といった水属性としてはあまり手が出せない語彙にまで及んでいる。それは張り巡らされた水脈が地下にあったり、噴き出したりする感動に似ていて、できれば現物を見てほしい。
 中でも掲出歌は水の性質について暗に能弁である。まず、水面に触れれば波紋が生じるということ。そのとき水は水平方向に湛えられている。次に、水は上から下に流れるということ。ここでいう「絵画bot」とは、ツイッターで自動的に絵画の画像をツイートするアカウントのことを指していると思うが、ツイートも上から下へ垂直方向に流れていく。最後に水は凍るということ。アカウントが停止する理由は様々だが、その中の一つに「凍結」がある。
 一方で、歌の中で時間の流れは巻き戻しと停止の二つしかない。先ほどあげた水の運動のうち二つが封じられている。水平に進む水紋は引き返し、垂直に落ちるツイートは止まる。
 景として、水紋が人差し指に吸い込み切られたとき(このとき指がストローの役割を果たし、水紋は縦方向に逆流する)、場面は指を水面から離すところに続くのではなく、絵画botの画面に切り替わって、そこで時間の流れが収斂したように停止する。水面とスマホの画面の切り替わりに媒介するのは人差し指だろう。映像を逆再生して、最初の静止画像に辿り着くような構成に歌がなっている。だいたい、絵自体が動かないのだった。
 水はしばしば「移動」や「時間の経過」を託されやすいエレメントだ。この歌にもそれは内包されているが、同時に独自の映像編集技術が施されている。

文・景川神威


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