鳥の目と虫の目を行き来する
先日、雪はこわいなあという思いをしました。
現在、長野の白馬村にあるスキー場近くに滞在しているのですが、
近くにコンビニなどが無いので
社宅とスキー場を往復する毎日を送っています。
週に一度だけ
車で10分ほどの距離にある
スーパーまで送迎してくれるバスがあるので
その時に、併設してあるコインランドリーで
洗濯物を乾かすため
大きな袋に一週間分の洗濯物を入れて
バスに乗り込みます。
買い物と乾燥を済ませ、
バスから降りて社宅に返ろうとしたのは
19:30。
いつもと違う場所でバスが停まったので
「この道から帰れば社宅に着くだろうな」
という小道に入りました。
ところが・・・
道はだんだん登り上がっており、
誰も足を踏み入れていない雪道になっています。
始めは硬かった雪道がだんだん・・
ふくらはぎまでズボっと埋まるようになり始め、
進むごとに膝、膝上と
雪が柔らかいものですから
足がはまって
抜けなくなってきました。
あれ?
おかしいな、この道通れるのかな?
なにしろ辺り一面 雪で覆われているものですから
いま歩いている道がどこに通じているのかが把握できないのです。
眼の前の2~3メートル先が踏切であることは分かります。
でも、このまま頑張って進んで行って
無事線路の向こう側へ辿り着けるのかどうかが分からない。
なぜなら、雪に胸の辺りまで埋もれて
身動きがとれなくなりそうだから。
もしここで雪にハマって動けないうちに
電車が来たら・・?
こわい。
と、思いました。
しかもその時の私は
一週間分の大きな洗濯物袋を肩から下げており、
まるで
雪道に苦戦している間抜けなサンタクロース。
このまま進むべきか。
引き返して、別の道を探すか。
時刻は19:30。
もうすっかり真っ暗です。
無理だ。
引き返そう。
やっとこさっとこ雪の中から足を引っこ抜きながら
来た道を引き返し始めました。しかし・・・
分からない。
どこから入れば、
いつも歩きなれている道に出られるのかが分からない。
・・・やはりさっきの道に戻ろう。
そうやってまた身体を埋もれさせながら雪道に進み、
「いや無理だ・・・」
と引き返し。
行きつ戻りつしたあげく、
確実に
現在地が分かる車通りまで戻ってから
再び社宅の方角へ向かう作戦に切り替えました。
しかしこれがまた、
小道に入っていくと分からない。
なにせ一面、雪に覆われているので。
グーグルマップで社宅の住所を検索しても、
この辺りは森林の中なので、細かな番地まで出てこないのです。
森林しか載ってないグーグルマップを眺めながら
シーンとした暗闇の中をザクザクと、
滑って尻もちをつきながら歩き続けること15分。
・・・ようやく、民家の灯りが見えてきました。
そして、朝夕通っているいつもの道を見つけました。
その時の生きた心地といったら。
家に帰りついてみると、
ウロウロしていたのは15分程度でした。
しかし暗闇の中、右を見ても左を見ても見覚えのない場所にいたので、
このまま歩き続けて目的地(社宅)まで辿り着けるのか。
それはいつになるのかが分からず、
本当に心細かったです。
+++++
何かをしようと思ったら、まず
鳥の目で観る(高い視点から現状を俯瞰する)ことが必要ですね。
全体(この辺り)はどういう場所で、
いま自分はその中のどこにいるのか?
ここからまず、どの方向へ向かえばよいのか?
目的地まで、あとどのくらい距離があるのか?
視点が低いと、
眼の前の情報だけを頼りに
進む先を決めなければいけません。
これはイチかバチかギャンブルのような選び方で、
ひょっとすると目的地とは逆の方向へ向かっている場合もあり、
それだってしばらく進んでから出ないと分かりません。
始めに全体図が把握できるって、
とても大切です。
でないと、
私のようにすぐ近くにある社宅まで
なかなか辿り着けずに、
あっちに行ったりこっちに行ったりと
真っ暗闇の中を不安でいっぱいの気持ちで
歩き続けるはめになります。
でも鳥の目の高さだけでは、
雪の硬さまでは分かりません。
実際に下りてみて、
歩いてみないと分からない事があります。
全体を観ることを鳥の目
具体を見ることを虫の目
と言ったりしますが、
どちらが大事、ではなくて
どちらも必要ですね。
これは人にものを伝える時や、
自分が初めてチャレンジすることなど。
何をする時でもハッと思い出し意識しておくと、
じっさいに体験するワクワク・ドキドキも味わえるし、
自分で自分を監督しているので
路頭に迷うことなく、
こころに余裕が生まれるように感じています。
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