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日記~好きになる努力~

発酵、マコモ、藍染、固定種、菌ちゃん農法、ミキ、アーユルヴェーダ…この辺を同時並走していて、できるだけSNSでオープンにしていたら「好きなことをやっている」と思われているらしかった。

ブランディングが成功しているようで良かった。

元々の私はどんな人間かは絶対隠したいと思っていたタイプで、プライベートな時間どんなことに興味もって過ごしているかなんて誰も知りたくないだろうからSNSには載せたくない。載せている人は周りが自分に興味あると思っているのだろうか?とまで思っていた。のに…!!

オープンにした理由は、今まで必死に隠したいと思っていた部分を表出したら世の中が何か変わるのか知りたくなったから。人生の後半戦は、自分がやったことないor出来ないことを堂々と出来ている人を見て蔑むような人間になりたくなかった。まあ、自分のSNSは興味ある人しか見ないだろうから、興味ある人にどんな人間か伝えるのは関係性を作るうえでスムーズだなと感じるように自己洗脳した。(SNSマーケティングは無視することに)

SNSでどう見られるだろう…と考えて苦しくなるみたいな話も聞くけど、「こう見られたい私」が明確にある。軽やかに自由に行動していける人!好きに誠実!と思われたくて投稿している。そういう意味で周りの目は意識しまくって投稿する。SNSってそういう使い方するツールだと思う。周りの目を意識しないなら日記を自分で作れば良いのだ。

実は、オープンにしている全てが心の底から好きかと言われるとそうでもなくて、ちょっと興味ある…というレベルのものもある。それでもSNSでオープンにするし、お金と時間をかけてどんなもんかと講座を受けたりすることもする。もちろん心が追い付かず失敗することもたまにあり。

でも大体は行動しているうちに見える世界が広がって好きになれる要素は増えていくし、好きになる努力をしているつもりでいる。ただ日常を生きていて、自分を夢中にさせてくれる何かに出会えて、それが人生の起爆剤になるみたいなことが起こる確率は自分には限りなく低いと知っているから、好きになるために努力する。(大事なので2回言いました。恋愛と一緒です。)

何が言いたかったかと言うと、好きなことを見つけるのが上手で、好きなことに対して行動できる力が人より優れていたわけではなくて。そう思われたいと思って行動していて今があって、好きになるために思考も時間もお金もかけて、好きになる努力をしているよってこと。先天的ではなく後天的。才能ではなく努力。

今考えるとオープンにして良かったと思っている。「好きになり上手」になった気がする。好きになるのはスキルなのかも?とさえ思い始めている。あとは、私が何をしているか認知してくれる人が増えていろんな情報がようになった。(これは情報屋としては本当に嬉しい!)他己紹介の時は「マコモ育てている人」「畑もやってる人」「発酵のお店の人」など、紹介しやすくなったのではないかと思う。そして何よりこれは良かった~と思うのは、言葉に本音を乗せるのが少し上手になったこと。本とかにある言語化力とか話し方とかよりも、言葉に本音を乗せる方が日本人は何倍も難しくて大切だと思うんだよね。

では、今日はこの辺で。



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