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四国とスペインの巡礼日記 <感想文>そん長 熊木雄治様より

2005年に記録を完成させた後に読んでもらったひとり熊木さんという僕の心の「そん長」さんから感想文を頂いたものを残していました。久しぶりにご本人とも連絡を取り許可を頂いので、当時のそのまま掲載させて頂きます。熊木さん、ありがとうございます。



「巡礼日記」感想文 熊木雄治さんより
2005年1月26日、午前10時からの2時間、四国とスペインの旅に連れて行ってもらった。

今月の19日、著者から直接に本書を渡され「少なくとも5つ批判をしろ」と課題を出されてから1週間が過ぎた時、偶然のみぞれ空に時間を与えられ追行した旅であった。

読後、何が頭の中にいちばん強く残っているのかを反芻したが、意外にも「どうでもいい」という一言が浮かんできたのであった。

著者はこの2つの旅を体験し、「巡礼日記」を編したことで、存在としての地球と、法則としての宇宙とに同化できたのではないか。

今後著者が行うあらゆる活動に「誰に向けている訳でもないありがとうが口から出て止まらない」が無限級数的に蓄積されていくのであろう。

ひとつひとつの文章、一日一日の記録を追記することは無視するが、この2時間足らずの旅の中で7回ほど大笑いした。

著者が得たであろうものの60億分の1くらいの感動を得、展望したであろう未来を1万分の1くらい共有できたような気がする。

20歳台の年齢で奪いようのない財産を手に入れた著者に対して、うらやましい、たくましい、たのもしい、などと受け止める反面、言いようのない敗北感も味合わせてもらった。

宇宙の法則の関与せざる事実や感情に「どうでもいい」と感じることと合わせて、まぎれもない存在としての生命(いのち)のちっぽけでダイナミックなことも掴み取っている。

著者に対し、願わくば、旅を更に続けて欲しいと強く思う感情があり、叶うならば「旅人たち」に「接待」できる「あるべるげ」を運営していきたいと決意させてもらえた。

今後この「巡礼日記」は著者や読者の意思や目的とは無関係に独り歩きを始め、そのものが旅の中に身を置く事となる。

 道標となり、石ころとなり、草花となり、木陰となり、霧となり、丘となり、河原となり、あるいは、握り飯となり、ギターやボンゴとなるであろう、旅人にとっては。

ゆえに読者は「この本は俺の(私の)ためにこそ書かれた書物であり、これに出会うために今まで模索し続けていたのではないか」と考えるのである。
「日々旅にして旅を棲家とす」とこきたない先輩は書き残したが、旅とは「『日常』が宇宙の法則への接近・合致するための偉大なる遊戯」であることを本書は著している。 
(2005年1月26日)

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