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「ビジネスはゲームからセッションへ」 【二章】VUCAな世界では「音楽的」であるのが強いかも

<目次>
■はじめに これは朗報です。
一章 マーケティングの進化振り返り
二章 VUCAな世界では「音楽的」であるのが強いかも
三章 もう見えて来た「音楽的」なマーケティングの兆し
四章 小規模ビジネスにおける具体的実践について
五章 そして、その先にある世界 音楽と発酵の共通点など
【補足】お笑いの世代変遷とマーケティングの変遷の相似性

【二章】VUCAな世界では「音楽的」であるのが強いかも

マーケティング5.0が「音楽的」なものになる仮説

マーケティング1.0に企業に求められて来た「生産性」から、2.0は「個別性」、3.0が「文学性」で、4.0で「双方向性」と進化して来たので、自然な流れで5.0はようやく「音楽性」です。

5W1Hでいうと【WHEN】。
「時」という概念に向き合う時代がマーケティングにもやって来た段階だと思います。

マーケティングの進化と5.0以上をマズローの五段階欲求説に即して図解すると下記の様になります。

【マーケティング進化論 ペライチ】5.0以降が今回の仮説です。

「時」を味方につけることが出来ているか、時間を超える概念で思考するスタンスがあるか。それは、瞬間的、即時的な対応柔軟性を保ちながら、数年先、もっと先のことを待つということ。過去にどこまでも遡りルーツを土台として、未来を見据えながら、今この瞬間を生きるという。過去・現在・未来を行き来しながら「今」にフォーカスする。それは音楽的なジャムセッションに似ている。

【WHEN】についての自由度の高さが必要となることを「マーケティング5.0は音楽的な世界」と仮説的に置きたいと思います。

顧客との関係が双方向性からもっと全方位的になっていくのはもちろんのこと、その過程でスピードも上がり、「空気感」「風土」のような非言語領域が更に大切にされ、結果として「考え抜く」という世界から「感応する」という即興的な関係構築が大切になっていくはずです。

その時に、社内外・モノ・コト全てが等価となり、「全員、主人公な世界」。

既に情報という領域で、カスタマーは、ただの消費者から情報を消費しながら生産する者(生産消費者=プロシューマー by アルビン・トフラー「第三の波」)へ移行中です。

インフルエンサーのような存在に頼らずに、普通の顧客が自発的に情報発信をしてくれる。UGC(User Generated Contents)を自然と増やしていける企業は、VUCA社会で一定のポジションを得る可能性が高まっています。

この段階で満たす欲求はマズローの五段階欲求を越えて「自己超越欲求」と言えるもの。もはや、言葉での双方向コミュニケーションを越えて、非言語的な領域で事業者側も購入者側も瞬間的に感情的に反応できる関係性の中では、ブランドへの没入感はコントロールできるものではなくなり、誰もが等しく自由な状態となります。

あたかも、演奏者も観客も一体となり、何が起こるか分からないジャムセッションを見届けている熱狂に近いと言えるでしょう。主役は誰か1人や一方ではなく、奏でられる「音」そのものとなっています。

「全員が、個性を持った主人公です」がマーケティング5.0の世界。

ビジネスが「音楽的」であるとはどういうことか

新聞を広げれば毎日ひとつは関連記事がある「VUCA」。
改めて、VUCAとはVolatility(変動性)、 Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字です。

繰り返しとなりますが、明確なゴールや得点や勝敗があるスポーツとは対照的に、ゴールや点や勝敗が無い音楽は古来「VUCA」を大前提とし、それをむしろ面白がる人間の営みです。何がゴールで何がシュートで、何が勝ち負けなのか全部曖昧なのがVUCA。

ゴールが可視化されていた時代から、ゴールは「世界観」や「空気感」や「風土」の醸成のような不可視なものになっています。ビジネスに綺麗なメロディー(ビジネスモデルの美しさ)と心地良いリズム(リズミカルな社内外コミュニケーション)、そして社内外とのハーモニー(調和性の高さやコラボ力)が必要になります。

音楽的な環境では、演奏の意味性は体感してもらうものになっているので、歌詞は最後には要らなくなったり、またそれは「声」という楽器として用いられたりします。

<音楽の演奏についての具体に少し入って見ましょう>
音楽の演奏に関わったことがある人なら、練習曲を個人で必死に行い、いざみんなで合わせる時のあの心地良いワクワクした緊張感を知っているでしょう。クラシック、ロック、ブルース、ワールドミュージック、ジャズ、実験的音楽でもなんでも良いのですが、あのみんなで合わせる時の楽しさは何にも変え難いものですよね。

例え、最初はボロボロでもなんどと合わせているうちにバシッと合ってくる感覚の気持ちよさ。そしてバンドなら休憩に移る前後にふと誰かが言い出す「ちょっとジャムろうよ」と始まる決め事の極めて少ない即興的なセッション。この時に、それぞれのプレイヤーは、演奏技術はもちろん、その持っている即時対応力や柔軟性、周りを聞き取る力を全て一瞬にして試され、プレイヤーとしてのレベルが一目瞭然となります。

うまくジャムセッションがグルーヴの波に乗るとプレイヤー達はそれぞれが没我の境地に入り(個々にはゾーン的な状態に入り)、音そのものがリードする非物理的フィールドが発生します。

もし今後の社会環境、事業やビジネスのおかれる状況が「VUCA」なのだとしたら、その常に急に変化していく複雑性の高い流れの中で、不確実性が高く曖昧な状況に柔軟に対応していく音楽セッションのような事業運営が出来ると、「困難」は「快楽」にすら思えてくるのではないでしょうか。

個の多様性の受容という観点からは、どんなジャンルを選び何をパートとして受け持つかは、「好きこそものの上手なれ」ということになります。ビジネスや社会が音楽的になっていく時に、クラシックのように体系立っていて構造的にロジカルさを持つものから、ジャズのように自由度の高いものまで色々と分野や風土は準備されているのです。

スポーツ的な世界との違いは、音楽的な世界の中では、優れた身体能力や、ハードなトレーニングや万全の体調や事前準備の完璧さなどは、スポーツ程は大切ではなく、ジャムセッションで大切となる、誰にでも出来るけれど、誰にもできるわけではない3つのことを思い出すのが優先となります。

■素直 : インプット = 周囲を素直に聞くこと
■解放 : アウトプット = 自分の持ち場でベストを出し尽くすこと
■委ね : 循環の中に存在する = 最後は大きなグルーヴ感に委ねてたゆたうこと

僕自身14歳くらいから今まで途切れ途切れではありますがドラムとパーカッションを演奏して来て、その間の30年くらいで人前のドラムの演奏で一番褒められたのは、左手の薬指を前日の練習で痛めてしまい、ほぼ親指・人差し指・中指の3本でスティックを持ってプレイした時でした。振り返れば、開き直ってもいるし、周囲をサポートすることに必死で、自我が目減りし力が抜けていた為に、上記の3つが自然と成り立っていたように思います。

先日YouTubeで見つけた声のアーティスト山崎阿弥さんがこんなことを言っていました。「私は音と接続し、星空の星を星座にするように高速に繋いでいくのですが、それは私というアルゴリズムの働きです。そして、あなたが世界を聞く時、世界もあなたを聞くのです。その聞くという時には、自分が素であることが何より大事です。」
https://youtu.be/NgjlsUbcLdU

見過ごされがちですが、音楽的な世界で大切なことは人生に置いても大切なことなのかも知れません。

例えば、音楽が教えてくれることは多くありますが、かの有名なテナー・サキソフォンの巨匠のスタン・ゲッツは楽器の演奏についてこんな風にシンプルに教えてくれています。
「君はアルファベットを習う。それは音階。センテンスを学ぶ。それは和音。そして楽器を使って即席で話せるようになっていく。」(「スタン・ゲッツ 音楽を生きる」ドナルド・L・マギン 村上春樹(訳))。

当たり前ですが、音楽的対話とも言えるセッションに至る為には、基礎的なことからしっかり先人を真似て、学んで階段を上がっていくことが大切だと巨匠も言っています。

文学性も極めると音楽的になる?

マーケティング4.0時点では強く必要とされた「文学性」ですが、元々文章のプロは言葉の美しさはもとより、リズムや全体のハーモニーを強く意識していますよね。

万年ノーベル文学賞作家候補の村上春樹さんは、「職業としての小説家」でも文章に置ける音楽性の大事さを伝えてくれましたが、小澤征爾さんとの会話でこんな風に言っていたそうです。

「僕は文章を書く方法というか、書き方みたいなものは誰にも教わらなかったし、とくに勉強もしていません。で、何から書き方を学んだかというと、音楽から学んだんです。それで、何が大事かっていうと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか・・・」
(村上春樹さんと小澤征爾さんの対話)

キレイなメロディーと心地よいリズムが文章に感じられないと、確かに意味を理解する以前の問題になってしまいます。

上記のように文学と音楽は似ている所もありますが、大きな違いは「評価のし易さ」ではないでしょうか。上手い文章と下手な文章は小学生でも見極められるけれど、音楽での上手い下手は聞く側の受容体の多様性と定義の難しさにより判断が難しい。

もう一つの違いは、文学は書いた後に読み返して推敲することが出来るけれど、音楽その時が過ぎると修正が出来ない。その事業が奏でる音楽を美しいものにするか雑音にするかは、演奏者のパート分担、テーマ設定、個の可能性の発揮の重なりを作る事にあります。

逆説的ですが、マーケティング5.0で音楽的セッションのような事業運営をする時に、人事体系に置いて評価指標は徹底的に言語化しておかないと、不協和音の連続が乱れたリズムの上に乗る演奏が続いてしまうようなもので、すれ違いまくり、顧客に迷惑をかけてしまいそうです。

この章でお伝えしたかったのは、なにもかもが不明瞭で視界不良なVUCA時代だからこと、即興性が発揮できるように、音楽的な感性をビジネスに取り入れることが大切なのではないかということです。その鍵は、得意なことを見つけ集中し、周囲を良く聞き素直に受け入れるオープンさを持つこと、その場その場でベストを尽くしながらも、最後には大きな流れに心身を委ねることのように思えるのです。次に、見渡すと見えてくるはずの「音楽的」な人達や事業について探って行きます。

<目次>
■はじめに これは朗報です。
一章 マーケティングの進化振り返り
二章 VUCAな世界では「音楽的」であるのが強いかも
三章 もう見えて来た「音楽的」なマーケティングの兆し
四章 小規模ビジネスにおける具体的実践について
五章 そして、その先にある世界 音楽と発酵の共通点など
【補足】お笑いの世代変遷とマーケティングの変遷の相似性

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