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うつくしい歌の記憶と、意志を持つこと

高架をくぐると花の匂いがした。どうやら近くの家の薔薇がここまで薫ってきたらしい。脳内に音楽がひらめく。見渡す限りの前方には人がいない。後ろからも足音は聞こえない。香りを吸い込んで、口を開く。

 童は見たり 野中のばら
 清らに咲ける その色愛でつ
 飽かず眺む くれない匂う 野中のばら

綺麗な歌詞。
私にとっては、祖母との思い出の歌だった。
歌が好きな祖母がコーラスグループで歌っていたその曲の楽譜をくれた。
野ばらには二種類のメロディがあり、違う作曲家が作ったのだという。
ピアノの練習は決して好きではなかったけれど、この曲だけは、何度も弾いた。片方を弾けばもう片方も弾きたくなる。何度も何度も、繰り返し弾いた。

次いで口から転がり出たのはまた別の歌だった。

 春のうららの隅田川 上り下りの船人が
 貝の雫も花と散る 流れを何に喩うべき

祖母はそういう歌を、台所に立ちながらよく歌っていた。幼い私は本を読みながらそれを聞いて育ち、祖母と一緒に歌うこともあった。私は、緑に溢れて、風通しがよくて、昔の歌をやさしく歌う声が流れる祖母の家が大好きだった。

人が向かい側から歩いてきて、歌は二番にたどり着く前に中断された。脳内で歌詞をなぞりながら、どうして昔の歌はこんなにもことばが綺麗なんだろうと思う。

まろやかで、流れるように続く、情景の浮かぶような美しいことば。
どうやったら、こんなことばを生み出せるようになるんだろう。
わたしには、生涯かかってもできないことのように思えてならない。

うつくしい昔の日本語が好きだ。
でも、懐古主義の、美しい日本の家族の姿を取り戻そうなどと言う政治家は決して好きにはなれない。

歌に付随して思い出される祖母の家や故郷の情景が、わたしはとても好きだ。
でも、私はあそこではきっと、生きていけない。

祖母は綺麗な歌を教えてくれたけれど、好きじゃなかった時期もあった。
結婚しない私のことを憐れんで気をつかっているのだろうなと感じる話ぶりを微妙な笑顔で受け流す時、一緒に暮らすのは無理だなと思う。
きっと彼女が死ぬまで、同性のパートナーと暮らしていることは言わないだろう。

感情は、簡単じゃない。
白か黒か。
捨てるか残すのか。
どちらかを選べたら、楽なのかもしれないけれど。

わたしは、複雑なものを複雑なまま捉えて、その上で、自分の息のしやすい方を、選んでいきたい。
昔を懐かしむ気持ちも、自分の生まれた国の好きな部分も大切にしながら、変えていくべきところは、変えていこうと言い続けたい。

もうすぐ選挙の時期がやってくる。わたしは必ず投票に行く。そして自分の意思を示すのだ。自分自身と、次に続く世代のために。

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