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部屋を整えたくなる絵画ーマティス展@東京都美術館

人混みが苦手なものですから、お子さまたちの夏休み期間中とくにお盆の時期は展覧会へ足を運ぶのを控えるようにしていますが、意を決して行ってきましたマティス展。
4月から開催しているというのにまた会期終了間近だよ。まったく学習しないよね、そこ。そういえば、夏休みの宿題も残り3日であわてて取りかかるタイプだった。

「HENRI The Path to Color」と題されたこの展覧会は、長きにわたるマティスの画業を8つに分けて概観する章立てになっています。

第1章 フォーヴィスムに向かって 1895−1909
第2章 ラディカルな探究の時代 1914−18
第3章 並行する探究ー彫刻と絵画 1913−30
第4章 人物と室内 1918−29
第5章 広がりと実験 1930−37
第6章 ニースからヴァンスへ 1938−48
第7章 切り紙絵と最晩年の作品 1931−54
第8章 ヴァンス・ロザリオ礼拝堂 1948−51

1895年再受験で合格したエコール・デ・ボザールでギュスターヴ・モローに学んだ時期からヴァンス・ロザリオ礼拝堂の献堂式が行われた1951年まで、50年を超える画業からポンピドゥー・センター所蔵の傑作を含めた本展覧会の作品群はマティスの多彩な活動ぶりを垣間見ることができる。いったいマティスは生涯いくつの作品を生み出したのだろう?数えることなど意味がないけれど、精力的な仕事ぶりにマティスが何を求めてきたのかを感じて探索するには絶好の機会でした。

この記事はマティス展の日本初公開作品とか傑作とかの作品紹介や展覧会レビューではありません。あくまでもわたしのアンテナにひっかかった作品についての所感であり検索用メモですので、そのようなスタンスでおつきあい下さい。

マティスが好きなワケ

マティスの絵は目を喜ばせてくれる。シンプルに「色彩を浴びに行こう」という目的だけでも愉しめるから好きだ。純粋に、マティスの選ぶ色彩がすきなのだ。

とくに、今回の展覧会でいうのなら第4章の「人物と室内」の時代にあたる1920年代前半の作品群が好きだ。そのハシリとも言えるのがよく知られている1908年の《赤い部屋》で、「人物と室内」が描かれた作品群は、色彩の純度を高めつつ秩序と均衡を追及する画面構成、単純化とデフォルメにそえられる強い装飾性と量感のコントラストが効果的である。

こうした複雑な要素を持ちながら、作品に向き合う時にはそれらの要素を上回って色彩の快楽に素直に身をゆだねられる。安心して感覚的な鑑賞ができる、というところがいいのだ。マティスは「小説家もサラリーマンも安らげる肘掛け椅子みたいな芸術」にしたいと言ったのだそうだけれど、それなら私はとっくに肘掛け椅子でヨダレを垂らしてマティスの絵を前に夢心地でございます。

第1章から第3章で気になった作品たち

第1章展示:《豪奢 I 》おだやかな色調に吸い寄せられる

《豪奢 I 》1907年夏
210×138cm ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

今展覧会の目玉であるアンデパンダン展へ出品された初期傑作《豪奢、静寂、逸楽》の前にはたくさんの人が集まっていたため、比較的すいている作品からスイスイとみて回りました。混雑している時は順番どおりに観ようとしない、これ大事。

わたしのイメージする豪奢からはこの絵のどこが豪奢なのかわからない。パリピの派手なパーチー?みたいなのが豪奢ですか?イメージが貧困だな。

比較的大きな作品なのだけど、色調と単純化されたフォルムのおかげで画面が迫ってくるような圧がなくていい。広くてモダンなリビングに飾りたい。もちろん、天井が高くなくては作品が活きないので、吹き抜けのあるリビングでできれば光があまり強く差し込まない均一な明るさの北向きがベスト。

などと脳内インテリア・プランニングが始まった。

すごくフラットで静かな画面だけれど、おだやかにしてゆるやかに気分を上向きにしてくれる作品だなー。

第1章展示:《横たわる裸婦 I 》3周くらい眺めまわしたブロンズ像(画像なし)

マティスの彫刻、いい。このブロンズの裸婦像はごつごつした感じがすごくいい。ごつごつといっても触覚的な硬さではなく、人体の原始的な美しさと生命力が粗削りに取り出されてから手肌でなでつけて造形されたいい塩梅のごつごつ。
残念ながら撮影不可なので会期わずかですがご興味があれば現物をご覧あれ。

この作品を含め第1章や第3章の彫刻作品は観ておいてよかった。二次元のカンヴァスに平面性を探究する絵画と三次元の彫刻の立体性との相互関係を、マティス作品を観るひとつの糸口として体験しておくのはいいことだと思う。実際、絵画探究と同時進行的に制作された彫刻作品で原点確認する、というようなこともしていたようです。

このポーズはいくつかバリエーションがあるものの、繰り返しマティスの絵の中でモチーフとして登場する。
わかりやすいのは例えばコレ↓

《青い裸体(ビスクラへの想い)》1906年
92×140cm ボルチモア美術館

一瞬これはルオーですか?となりそうな作風ではないですか?マティスの探究心は周囲の作風を学び取り入れ行きつ戻りつしながらマティス・カラーを確立していったのだな、というのが1930年前後までの印象です。

で、この裸体のポーズは1906年の《生きる喜び》にみられる休息のポーズが初期段階で1920年代前半に制作された裸婦像に多く残されています。
そして晩年の切り紙絵の「青い裸体」シリーズにも繰り返されており、マティスのモデルたちが一度はとってみる定番ポーズだったりするんじゃないのかな?

このポーズは絵画ではデフォルメされて、とくに太ももと肘から先の腕と手が大きく引き伸ばされていることが多い。腰のくびれと臀部の大きな曲線と、足と腕を折り曲げた姿勢がつくる肉づきのいい「く」の字曲線が平面的な画面構成の中で奥行きを感じさせる要素となっている。

《青い裸体 Ⅳ 》1952年
103×74cm  ニース・マティス美術館

第2章展示:《金魚鉢のある室内》と《白とバラ色の頭部》

《金魚鉢のある室内》1914年春
147×97cm ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

室内と窓からの外部空間を接続するように置かれた金魚鉢。水に映し出される「外の気配」が優雅に泳ぐ金魚によって揺らいで境界が曖昧になる。内と外との結節点としての金魚鉢を中央に、青い階調で透過する光の量が配分され画面の上から下へと補色関係の赤と緑がつながって奥行きを作りだす。そして、窓枠の一部を構成して直下へと走る黒い線が金魚鉢まで一気にのびてこの空間全体を調律するように引かれている。

ふと窓辺の景色を見遣ったような何気ない日常風景のようでいて、実に計算された画面なのだとじっくり観察すると気づきがある。それにしてもこの作品の空気感はどこかで体験したようないつかの午後を想起させる。

《白とバラ色の頭部》1914年秋
75×47cm ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

もう一枚、これもぜひみたかった作品。手元にある図録によると、このキュビスムな作品ははじめは写実的な手法で描き始められたそうだ。モデルはマティスの娘マルグリット。写実から離れて描き直しをする時、マティスは娘に向かって「この絵は、違うところに連れて行ってくれと私に言っている。我慢できるかな?」と同意を得てから着手したのだとか。我慢とは?・・・おそらくマルグリットは最初の出来栄えに満足していたのではないかしら?だからだんだん平でまっすぐで箱型になっていく自分の姿を「ちょっと我慢して見ててくれるかい?」と頼んだということではないかしら。マティス父さん、娘かつモデルへのリスペクトが素敵。出来上がった作品をマルグリットはどう思ったのでしょうか?すっかりトランスフォームした姿に自分が刷新されたようで満足したのかな?それはないか笑

第3章展示:彫刻作品はぜんぶ好き。

《アンリエットI》《アンリエットⅡ》《アンリエットⅢ》は1925年、1927年、1929年と2年おきに制作されていて中でもいちばん抽象度高めな《アンリエットⅡ》が好きだな。

《背中》シリーズⅠ Ⅱ Ⅲ Ⅳ もよかった。

《背中Ⅰ》1909年《背中Ⅱ》1913年《背中Ⅲ》1916−17年《背中Ⅳ》1930年
ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

実際の作品は等身大で4作品つなぎで壁一面が覆われています。
展示空間が狭めでシリーズ作品の並びと動線との関係で滞留しがちなところだけれど軽くながめて次の展示へ向かう人もわりといて。もう少し絵画作品との関係を理解できる仕掛けがあったらな〜と思いつつ地階から一階へと移動。


第4章から第6章で気になった作品たち

第4章から第6章までのこのフロアの展示は撮影可能でした。お互い譲り合いながらの撮影で混雑のわりにはスムーズなの、すごい。それでも私はあえてできるだけ少なめにこれは!と思う作品をセレクトしようと謎の試練を自らに課す。

第4章展示:《グールゴー男爵夫人の肖像》

《グールゴー男爵夫人の肖像》1924年
81×65cm ポンピドゥー・センター/国立近代美術館 パリ装飾美術館寄託

1920年代前半のマティスは古典的で写実的な画風の作品も残していて、この作品もそのひとつになるだろう。

夫人と手前の人物とでつくる対角線構図は鏡に映った後ろ姿が終点となり、装飾的なクロスの上で結び合うように繋がれた人物の腕のWラインも画面に動きを与える。夫人の右横にある赤いカーペット敷の部屋の開け放たれた窓は、風の通り道のように鑑者の視線を自然に画面奥へと誘導し窓越しの景色へとつないでいく。調度品に映り込む光と影、夫人の顔の左半分や手前の人物の腕の影からは明るい午後の日差しを感じることができる。

ちょうど同じ年に描かれたこの作品↓

《サフラン色のバラと鳥籠のインコ》1924年
60.3×73cm コロンバス美術館


同じようにテーブルが画面を斜めに横切って配置されていて、鮮やかな色彩に花瓶とティーカップに落ちる強い影が施されている。左の壁面には白く反射した光が映り込み、やはり陽光を思わせる。インコが並んでいるのが超かわいい。

フォルムを単純化・平面化しながらも必要な部分に適度に与えられる量感。豊富な色彩の中にある装飾性は極めて繊細な均衡を保ってまったく破綻することなく色面にリズムと軽やかな運動性をもたらしている。視覚に色彩のシャワーを浴びて脳内で画像処理しているうちに喜びがあふれてくる。まるでドラッグだ。やったことないけど。

第5章展示:《夢》

《夢》1935年
81×65cm ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

画面いっぱいに人物による逆三角形の構図。画面下2/3くらいを占める引き伸ばされた腕と手が、何というのか、まるでそこだけ時間がゆるやかに経過しているのではないか・・・と感じさせる仕掛けになっている。眠る女性とともにある静かな寝息が聞こえてきそう。スヤ〜。

重ねた腕の影と髪の毛の色に使われたライトブラウン?オリーブブラウン?がいいね。あとやっぱり色のトーン合わせがマティスはいい!

家を建てた時、寝室の壁にマティスの絵を3枚飾ることにした。紙に石墨で描かれた《眠る女》《両腕に頭をもたせて休む女の習作》と・・・あと何か。同じように眠るようなポーズのデッサンで、マットな黒の木枠のガクブチで額装した三部作を自作した。確か総額は15000円くらいで仕上がったお手軽なアートだった。ベッドヘッドのある北側の勾配天井を利用して、濃淡のある茶系のざらっとした質感の壁紙を貼ってもらい、そこへ黒い額縁を横並びに3つ並べた。茶系の、ヘタをしたら凡庸になりかねない壁に黒い枠が整列して空間が引き締まった。その枠の中のシンプルな黒い線の女性たちが眠りに誘う寝室はいつも心地よかった。

もう引っ越してしまったあの家の思い出とともに時々思い出すあの部屋に、マティスのデッサンを選んだのは今でも正解だった思う。

第5章展示:《座るバラ色の裸婦》

《座るバラ色の裸婦》1935年4月−1936年
92×73cm ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

「ひとつだけあげましょう」と言われたら、この作品です。現実的なサイズ。

そう、何気にパープル使いが上手いと思います。パープルというかラベンダー寄りのニュアンス・パープル。差し色的にほんの少しで効果的。

この作品では白は光の当たる部分なのでしょうか?顔と左腕と右側の腰から臀部にかけての大胆な筆触。ところどころカンヴァスの生地が見え隠れするラフな塗り方なのだけど、幾何学的で単純化された人体の輪郭線と相乗効果を生み出している。
最終段階でカオナシになったようですが、左横に亡霊のように目鼻がうっすら見えるのも含めて魅力的な作品。

第6章展示:《赤の大きな室内》

《赤の大きな室内》1948年春
146×97cm ポンピドゥー・センター/国立近代美術館

床と壁が溶けあうような赤に支配された画面に、安定的なシンメトリーの対称性で配置されるモノたち。画面に正面向きに配置されたものと斜めに配置されたものとが単調さを斥けて平面的な画面に空間の奥ゆきと気配をあたえています。

テーブルの上に置かれた花々は、さまざまな形状の花瓶に小さな色のかたまりを作って画面を横切るように配置。それが画面中央を上から下へと走る線描と交わってに肘掛け椅子がその交点として焦げ茶色の落ち着きとともに画面を引き締めつつ安定性をもたらしています。

さらに、画面左上の壁の筆書きのドローイングの効果よ!窓枠のような2つのドローイングの一方が幾何学的に構成されてモノトーンで描かれることによって画面下のテーブルの曲線との対比的効果を生み出している。また、この部分だけモノトーンであることが画面にあふれる色彩に「抜け感」を作り出していて色彩の密度に鬱陶しくならない。なんという技でしょう!素晴らしい。

さらにさらに、画面最下部に置かれた獣の敷物の脱力系ヘタレ感、線描のヘタウマ感(賞賛)!!そんなひとつひとつの細部描写の妙が、この絵画への親しみになっていると思いませんか?

インテリア欲を掻き立てるマティスの絵画

毛足の長いカーペットに装飾的な花柄の壁紙。
テーブルには大柄な花模様のクロスをかけて季節の花をモダンな花瓶に束ねて活けるか、あるいはフルーツを盛り合わせた大皿をセンタピースに。
キッチンから焼きたてのパウンドケーキのいい香り。
そろそろアッサムティーをティーポットで用意して午後のお茶にしましょうね。
朝から開け放たれた窓辺からは心地よい風がカーテンをゆらす。

・・・ていうような1890年代から戦後までのフランスの幸せな中流家庭にありそうな光景がマティスの描く室内イメージ。マティスは「色彩は豊かで心躍るものだから、もっと暮らしの中で愉しむべきなんだ」とでも言ってくれているようだ。

うちには1890年代につくられたフランス製のアンティーク家具があって、それは年代から言ってヴィクトリアン様式のものなんだけど、マティスの絵画にある調度品には親近感を抱く。
インテリアの好みはもっとシンプルだけど、新婚の頃には花柄のクロスで溢れていたよね。あれは幸福の模様だね。しかし一過性のものでしたよ、ウチにとっては。笑

時折マティスの図録を見返すと、暮らしを彩る楽しさを忘れているな〜とハッとする。
同じく室内を描くハマスホイの静謐な空間にも憧れるけれど、マティスの色彩は生命力に溢れていて「命短かし、愛せよ暮らし、愛せよ生命」みたいなメッセージを受けて整理整頓してちょこっと花でも飾ろうかしらって気になる。

第7章は割愛し第8章で気になった作品たち

第8章展示:トンドのデッサン《聖母子》

ヴァンス礼拝堂、ファサード
円形装飾《聖母子》(デッサン) 1951年
直径151cm カトー=カンブレジ・マティス美獣館
Photo musée départemental Matisse (DR)

ルネサンス期のイタリアで主に贈答用に描かれた円形状の板絵をトンドといいますが、その形式を用いて礼拝堂のファサードに置かれたもののデッサンだそうですね。
会えるのを楽しみにしていた作品のひとつ。

このおおらかな太い線は聖母子の現代的な親密さと解釈していいでしょうか。聖母とイエス・キリストのお顔は重なっていて、どこからどっち?と考える・・・けど意味のないことのように思い直す。聖母子の一体性と捉えればいいだろうか。

ヴァチカン美術館には同じように線で描かれた聖母子像があります。
モダンアートが展示された一角にマティスのこの聖母子像があるのですが、ヴァチカン美術館の圧倒的なコレクション量にまぎれて、というか鑑賞疲れでうっかり見過ごしそうなくらいひっそりと現れる。(制作年わかりません)

この聖母子はロザリオ礼拝堂のトンド・デッサンに比較して聖母子の線描も細くてまだまだ具象性があります。規則的に並べられた装飾的な葉紋様の一つ一つが異なっていて抽象的でありながらも親しみやすく優しい雰囲気で、平穏な祈りの時を過ごせそうです。

ロザリオ礼拝堂の円形装飾《聖母子》は記号化されたような表象で、さらに表現が抽象的になっています。しかし、親しみやすさの度合いは増しているように思います。

第8章展示:ヴァンス・ロザリオ礼拝堂 堂内映像

最後の映像は、会場出口付近。
トンドの《聖母子》を設置した壁の向こう側にあって、鑑賞途中に教会の鐘が鳴り響いてきたためなんとなく移動。

総合芸術としての最晩年のマティスの大仕事。ステンドグラスを透過したカラフルな光が白い礼拝堂内部を時間の経過と共に移りゆく様は美しく息をのみます。
現地を拝観出来ればいちばんいいのでしょうが、写真ではなかなかわかりにくいそれぞれの配置とステンドグラスからの光の通り道などが映像で見られるのは嬉しいですね。

最後に:マティスの自画像と好きな写真

長々と綴ったマティス展所感。こんなに長くなるとは思わなかったよ、7000字超。レポート2本分やないかーい。好き勝手に書けるとなると途端に文字数不足に悩むことなど無くなる。誰もついて来てないおそれはあれど(笑)、アウトプットしてなんぼ、と前向きにとらえましょう!

マティスは自画像をよく書くよね。気に入ったのは2点。

《パイプをくわえた自画像》1919年
37×27.5cm ポンピドゥー・センター/国立近代美術館 ブザンソン美術考古学博物館寄託
《自画像》1937年
25.4×20.3cm ポンピドゥーセンター/国立近代美術館

そして最後にカッコイイこの写真で締めくくります。

「マチス展 Matisse Retrospective 」1991年
公式図録より

また、マティスの色彩に小躍りする日が来ますように。

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