見出し画像

考えてはいけない|前に進む

批評を書いて思うこと

記事を書く時の批判的姿勢について
映画「ファイト・クラブ」の記事を書いてみて、多くの学びがあった。

以前の記事で
「現実的すぎる解釈を与えられると、ロマンを感じなくなってしまう」
と書いたが、書いた本人がその反動を受けるとは思わなかった。

1.思っていたのと違う
・直感的に受け入れがたい結論
映画「ファイト・クラブ」が父親に関する話?
記事を書き始めた時には、全く想定していなかった結論に達し、
なんだか、気持ち悪い。
恐らく、ほとんどの人にとって「ファイト・クラブ」は
タイラーが主人公であり、それ以外の解釈は認められない。

2.妄想が膨らむ
「廃墟となったロックフェラーセンターの大渓谷でヘラジカを追う」
タイラーの理想郷である狩猟採取の原始的生活の実現のためには、
大幅な人口減少が伴う。
それは資本主義に加担した者の粛清が行われた結果だろうか。

「プロジェクト・メイヘム」のメンバーは労働者から組織され、
葬式代と布団と黒い服だけを持って入隊する。
これって、もしかして「クメール・ルージュ」ではないか。
そんなことに思い至ると妄想が膨らんで、
映画のオープニングの曲「Stealing Fat」と
「Holiday in Cambodia」が同じ曲のように聞こえてくる。
The Dust Brothers - Stealing Fat
The Dead Kennedys - Holiday in Cambodia

クメール・ルージュを率いたポル・ポトは「原始共産主義」を掲げ、
自給自足の農業ユートピアを構想した。
プロジェクト・メイヘムとクメール・ルージュを同一視する記事もあった。

しかし、この関連付けは映画に対し、過剰なレッテル貼りになると思う。
いくつかの共通点から、勇み足でこのような記事を書かなくてよかった。
映画で示されたのは、小規模テロ集団のイメージというところまでで、
権力を握ったわけでもイデオロギーを社会に打ち出したわけでもない。
この説が成り立つには、相当の部分を妄想で補強している。

3.書いたものに関して考えてはいけない
・誰のためにもならない
誰も疑問に思っていないことを勝手に解釈するというのは、きもい。
記事の内容が正しいかどうか、それ以前の問題として他人からすれば、
場違いな発表をしているだけの、ただの勘違いしている人でしかない。
十分に認知されている問題を扱うか、問題提起にとどめるべきだ。

・批判的姿勢は、考察には向いていない
機械の故障原因を探るときの「なぜなぜ分析」のように
因果関係を言語化することで、問題になっている系列を
示すことは可能となるが局所的な洞察に終始して、
大局的な見識が得られない。

要するに「ふーん」で終わる記事を書いても
自己満足のために書いている割に、満足できない

noteニヒリスト編の終了

ということで批判的姿勢で記事を書くとニヒリズムに陥る危険もあるので、
これからはスタンスを変えて記事を書こうと思う。
noteの先人から学習しながら、ぼちぼちやっていく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?