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映画「メメント」時間の鎖

映画「メメント」を時間の観点から考察します。

あらすじ
主人公レナードは、自宅で強盗の襲撃に遭い妻が殺され、彼自身も頭に怪我を負わされたため前向性健忘症となった。犯人は捕まっておらず、彼は自分で犯人を見つけて復讐することを決意している。決意を忘れないように体にタトゥーを彫っている。「ジョン・Gが妻を強姦し殺した」

この映画には、時間に関連する表現が多用されている。

時間の表現
・映画の構成は、カラー映像と白黒映像が交互に配置され、
 カラー映像では時間が逆行し、白黒映像では順行する。
・逆再生された映像が示される。
 ポラロイドフィルムが現像されるまでの時間経過や
 拳銃から薬きょうが飛び地面に落ちるスローモーション映像。
・サミーの妻が時計の針を逆に巻き戻すシーン。

レナードの時間感覚
レナードは前向性健忘という特殊な症状によって、数分間が経過すると
強制的にそれまでの記憶が消去される。
周期的な記憶の消去タイミングに、常に追い立てられている。

記憶力を失ったら
通常の生活が困難な状態になる。
自分が今まで何をしていたのか、
どのようにして今いる場所にたどり着いたのか、分からない。
記憶が消去された時の感覚は「いつも目覚めたばかり」のような感じだという。意識は鮮明でありながら、繰り返し記憶を喪失する。毎回、写真やメモなどの限られた情報から今の状況を把握しなければならないし、新たな情報の記録も残さなければならない。そのためにポラロイドカメラを持ち歩き、メモを取る。そして、人と出会う度に自身の症状を説明しなければならない。

時間の循環
レナードは保険調査員として培った調査方法に従って行動している。
情報収集や管理の習慣は、過去の自分の姿を再現するための行動で
過去との連続性を維持しようとしているように思える。しかし、
体に彫られたタトゥーが、事件以後の自分の存在理由を定義する。
「彼を探し出して殺せ」
周期的に記憶を失っても、タトゥーを見て
必ず復讐の行動を起こすように仕向けている。

「サミー・ジェンキスを忘れるな」
記憶喪失でありながら「忘れるな」という矛盾する文言は、彼が現状を受け入れ、真実から目を背けていることを象徴している。終わりのない復讐のループに自分をつなぎ止めて抜け出せないようにしている。

彼は人と出会うとサミーの話をする。
ジミーを襲い、地下室に運ぶとき「サミー」とつぶやいたことに動揺する。
「面識がある」ということはジミーは「ジョン・G」ではなく、
テディに騙されていると悟った。

なぜテディを殺したのか

複数の筋書き
映画「メメント」で描かれているストーリーは、登場人物によって
仕組まれた複数の筋書きによって成り立っている。
それぞれの筋書きは、非常にシンプルだ。
・レナードは妻を殺した犯人を見つけ出し、殺害する。
・テディはレナードを利用して、ジミーを殺害させ、金を奪う。
・ナタリーはレナードを利用して、ジミーを殺したテディを殺害させる。

レナードが、テディ殺害の動機を持った経緯を考えてみる。

記憶を改変する
レナードにとって証拠を裏付けるものは、
他者から得た説明か、自分の意思である。

ジミー殺害:
レナードが持っている証拠は、ページが抜け落ちた捜査資料と
写真にかかれたメモといった不完全な記録である。
テディに言われるがまま「ジョン・G」として殺害している。

テディ殺害:
テディに利用されないよう、写真に「彼の嘘を信じるな」と書き込み、
車のナンバーをタトゥーで彫って「ジョン・G」であると自分に思い込ませる。ナタリーから車の登録証を入手した時、テディの写真を持っていることを無視して、名前の一致から犯人だと判断した。

テディが語る真相
他者から与えられた物語を信じるか、自分が作った物語を信じるか。
テディが真相を語ることで、どちらの話を信じるか選択を迫られた。

テディの言うことを信じれば、復讐のループは終わる。それと同時に、
自分が妻を死に追いやったことを認めなければならない。
自分が作った物語を信じれば、自分の意志で復讐を続けられる。

テディが語る真相の内容
レナードが語るサミーの物語は、話す度に内容が変わるという。
サミーは詐欺師で、妻はいなかった。
レナードの妻が糖尿病だった。事件で死んでおらず、
事件以後の生活の苦悩で、精神的に疲弊した。
レナードに、インシュリンを打たせ続けて死んでしまった。

時間の流れを感じない
現実の世界では決して、時間は逆行したり循環することはない。
それに対して、レナードは主観的な時系列に頼らなければならない。
記憶や物語の世界では、同じ時間が繰り返すように感じる。

「みんな記憶で自分を確かめている」
目を閉じて、また開いたときに連続した光景が広がっていれば、
記憶が消去されるまでのわずかな時間を感じることができる。
外の世界は存在していて、その世界に自分がいる。
意志に従って行動すれば、外の世界に影響を与えることができ、
アイデンティティが保持できる。そして、
自分の行動には意味があると信じられる。

妻に言われた通りに従ったから、彼はインシュリンを打ち続けた。
自分の意志に従えば、別の結果があったのでないかと想像する。
ラストシーンで挿入されるショット。妻と共にいるレナードの左胸には、
復讐を終えたことを示す「I'VE DONE IT」のタトゥーがある。

まとめ

この映画は記憶と時間の「永続性」がテーマだと考えられる。
人が時間の流れを感じるには、連続的に記憶する能力が不可欠である。
人の記憶力は厳密なものではないが、一部の情報は残り続けるので、
完全に記憶できなくても問題は起こらない。時間経過に合わせて記憶を整理して繋ぎ合わせて、まとまった時系列として認識することが習慣になっている。そうすれば、断片的な記憶しか残っていなかったとしても、一貫性があるものとして信頼できる。
その理由は、時間は一方向にだけ進むという確固とした信念に依る。
しかし、記憶を想起する時に内容に整合性がなくても気にならない。

作品紹介
公開: 2001年
監督・脚本: クリストファー・ノーラン
原作: ジョナサン・ノーラン

その他の解釈

時間感覚のシミュレーション
シミュレーション映像とは、他者が設定したイベントを体験するコンテンツである。日常的な時間感覚は記憶に基づく時系列に従うか、または、イベントに従う。
レナードは時系列で記憶ができないので、タトゥーや行動を指示するメモを用いて自分を誘導して、そこで起こるイベントに従っている。
つまり、自分が設定したシミュレーションを体験する観客である。
視聴体験の説明としては成り立つが、彼の目的との関連は説明できない。

自己言及的な映画
レナードの行動と映画の観客の行動を比較してみる。
「復讐を果たした」次の瞬間には「何しているんだっけ」
映画の観客は「すげぇ」映画を観終わって「何食べよう」
人は時間経過に従って行動した場合には、考える内容が連続しない。

映画における記録の厳密さと時間の把握と記録の編集、そして
物語の嘘という要素を自己言及として考えたとき、
映画についての物語と見なすこともできる。
そこから、嘘についての葛藤が考えられる。
嘘を付くことで生じる混乱や困惑を扱うというマニュフェストだろうか。
この映画の大きな嘘というと、サミーに関するシーンは
すべてレナードの妄想であり、回想シーンではない。
一連の回想の中に紛れて、視聴者は混乱する。

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