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「報道被害」が繰り返される仕組み|週刊鴎研

「週刊誌は、訴訟リスクを負っても稼げるから嘘を書く」

このような議論が起こった時に、
そのような「ビジネスモデルが存在しない」と反論する記事がでた。

「書き得」という言葉を多くの人が信じてしまうのは、X(旧ツイッター)を中心としたSNSの世界が、まさしくそうだからだろう。

松本人志の性加害疑惑、「週刊誌は書き得」という神話

反論記事の中で、SNSでは、ビジネスが成立することを認めている。

週刊誌の出版事業全体を成立させるほど、WEBからの収益が大きくないことを理由として、個別の記事によって、採算が成り立たないと反論しているのだろうか。何をもってビジネスが成立するのかが不明確である。

すべての記事が嘘で固められていた場合だけを想定して、
すべての裁判で敗訴するような絶対に存在しえない前提を置いて、
「ビジネスモデルが存在しない」と言っているようにも解釈できる。

週刊誌のビジネスモデルについて、金額を示しながら、
反論する別の記事も出ていた。

「名誉毀損訴訟の賠償額が数百万円というのは少なすぎる」という意見に対して、週刊誌が完売した際の経費差し引き後の利益は、二千万円程度、
平均実売率は50%と指摘しています。つまり、スクープによって
通常よりも一千万円の利益増大が見込めるということだ。ならば、
「賠償額」と「加害による利益」を比較する場合において、
一千万円が妥当である。「賠償額が少なすぎる」を肯定している。※1

米国では特にそうですが、名誉棄損裁判では原告、つまり名誉を棄損された側が陪審員に対し、報道の内容が事実無根であるかどうかについて立証責任を負います。

「松本人志論争は間違いだらけ」元文春編集長が明かす、週刊誌の実情と言い分

なぜか、米国の法律で争うつもりのようだが、米国では、
名誉毀損について、懲罰的損害賠償金が設定されており、
深刻な人権侵害に対しては、巨額の経済的制裁を科している。
日本では、金銭的賠償よりも謝罪文の掲載にとどめていることで、
言論の萎縮に配慮しつつ、被害者の名誉回復を図る方法が採用される。

「根拠のないことを報じるな」という極めて基本的なことに、
米国の法律を持ち出して、反論しているつもりだろうか。

このダイヤモンドオンラインの記事は、元週刊文春・月刊文芸春秋編集長だった木俣正剛氏によるもので、後述する「聖嶽洞穴遺跡捏造疑惑」を報じた
当時の編集長である。
週刊文春は、この「聖嶽事件」の名誉毀損訴訟において、
捏造を行った人物と示唆したことによって、敗訴し判決文で
「捏造に関与したとの疑いを抱くに足りる根拠事実があること」の
立証責任が文春側にあると指摘されている。

本件における名誉毀損の違法性阻却事由としての真実性の証明対象事実は,
『聖嶽洞穴遺跡の石器は捏造されたものであること』及び
『B元教授がその捏造に関与したとの疑いを抱くに足りる根拠事実があること』であると解するのが相当である。」

福岡高裁 平成15年(ネ)第534号 謝罪広告等請求控訴事件

週刊誌の記事に対する自身の認識を明かしています。
・記事に不備があることは認めるが、不備があっても高額賠償するほど損害を与えていない。不当に賠償額をつり上げている。

記事の小さな不備を指摘して100万円以上の賠償を求める判決が多くなりました。

「松本人志論争は間違いだらけ」元文春編集長が明かす、週刊誌の実情と言い分

裁判所に関して、以下のような認識を披露している。

裁判所の上層部には判決を誘導する流れがあります。90年代以降に出された判決には、明らかに週刊誌の報道を抑制しようという意図が見られました。

「松本人志論争は間違いだらけ」元文春編集長が明かす、週刊誌の実情と言い分

これは、ただの開き直りと陰謀論ではないでしょうか。
・裁判所の判断が偏っていて、圧力をかけられている。
・裁判所の事実認定の判断を軽視している。

アメリカの法律ではなく、日本の法律に基づいて、主張すれば、
判決内容の偏りを正すことができるはずだ。

問題はビジネスではなく、報道姿勢

「事実関係が明らかでない状況で、個人の名誉に関わる報道は、慎重であるべき」という意見に対し、ニューズウィークの記事では、現時点で分かっている事実から「真相を推定」することが可能だから、報じる価値があるとしている。

このような考え方自体に問題があることに、気づかないのだろうか。
その推論が根拠としている事実が確定していないにもかかわらず、
結論を求めても、単なる臆説になる。結論やストーリーありきで、
発信することは、報道被害が生じる危険性が極めて高い。

元ネタとなっている記事よりも、このような推定記事の方が
「書き得」を狙う本体であり、単なる仮説や噂レベルで、
元ネタと同程度の被害をもたらす可能性を持っている。

「書き得」の反論が「推定」ってどうゆうこと?

信頼されるメディアでなければ、記事が売れないといった反論も出ている。
話が逸れるが、このようなオールドメディアの庇い合いには、
キャンペーンの旗振り役から指示が出ているのだろうか。
以下の記事では、少なくとも、ニューズウィーク、日刊スポーツ、テレビ朝日の三社の意思統一が見て取れる。玉川徹氏は、フィクサーなのか?
「エプスタイン事件」からつながる流れがあって協調しているだけなのか。

はじめからうそをついて、でたらめを言って、視聴率を取ろうというようなことを考えるような人間は、テレビの世界でも報道の世界でも見たことはない

玉川徹氏、文春松本人志報道めぐる「書き得」論争に反論「組織としてやるとは考えにくい」

はじめから嘘でなくても、適切でない推測で、個人を追い込むことに
問題意識を持つ人が、テレビや報道にはいないのだろうか。
テレビや報道機関が作り出したストーリーを信じ込ませることが、
メディアに対する「信頼」に寄与していないと言い切れるのか。
メディアが中心となって、噂話を焚き付けて、視聴を維持させていないか。

オールドメディアが自発的に推測の誤りを反省したことがあるのか。
一つの事件について、いくつもの「真相を推定」が提示され、
単なる臆説を既成事実として、一般に認識される状況を作り出している。
結局、外部からの批判と圧力によって、誤りを認めざるを得ない状況にならなければ、訂正しないのであれば、「信頼」を外部に依存していることになる。オールドメディアの「信頼」の源泉になるものは何だろうか。

裏取りという建前

週刊文春の報道姿勢に対する批判として、何度となく例に挙げられている
聖嶽事件」の判決文を展開して、共有したい。

「もし,その噂が事実であれば,“第二の神の手”どころか,これこそが
“日本最初の神の手”というべき重大事件である。」

平成15.5.15大分地方裁判所民事第1部 平成13年(ワ)第610号謝罪広告等請求事件

週刊文春が報じたところの表現によると、噂が事実であれば、重大な事件として、その事実を補完する証言を報じ、責任を追及するということだ。

まさに、報道被害が生じる原因が軽視されている。
証言が「事実でなければ」報道被害が生じることに直結する最初の
判断に「噂」を置いている。「噂」を出発点として取材活動を行い、
推測によって結び付けられた証言で、外形的な事実関係を整えて、
それが、真相であるかのように主張する態度は、「真相の究明」ではなく、「集団による想像」である。

1.近年、一般に浸透しつつある言葉で「フィルターバブル」がある。
自らが知りたい情報だけを限定して収集する状態を指す。
フィルターバブルの罠に嵌る理由は、単純に情報収集が楽だからだ。
情報収集の前に条件を設定して、合致する情報だけを採用すれば、
作業の手間が省ける。しかし、フィルターバブルで得られる情報は、
概ね一般論であり、根本的な確信を得られる情報は、ほとんどない。
理由は、情報収集の条件設定が厳密ではないからだ。

2.利害関係者は、自らの利益を優先して、発言を調整する。
記者が取材内容についての専門知識を持っていなかった場合、関係者の証言を無批判に採用して、仮説を組み立てると利益誘導に、記事を利用されることが考えられる。この時、証言を検討するために、証言を否定する事実が存在しないか確認したり、利害関係のない第三の専門家に、客観的立場から意見を求めるなどの慎重な対応が必要となる。

このような問題点は、聖嶽事件の判決文でも指摘されている。
聖嶽事件とは、週刊文春が聖嶽洞穴遺跡の捏造疑惑を報じたことによって、
嫌疑を掛けられた遺跡発掘の責任者が、抗議のため自殺した事件である。

前段として、
1.全くの別件で、捏造事件が発生し「考古学」への信頼が揺らいでいた。
週刊文春は、二匹目のどじょうを狙って、先の捏造事件を引き合いに出し、
当該の疑惑の重要性を強調していた。
(ジャニーズから続く、芸能界の一連の性加害問題として、
松本人志氏について報じる構えが相似している。)

2.当該の聖嶽洞穴遺跡に関しては、学問上の疑問点によって、議論が起こっている状況があり、その考古学上の価値を疑問視する意見もあった。※2しかし、責任者本人が遺跡の不自然な状況を認め、再調査を承認していた。

3.記者は本件の取材を開始する発端となった情報源の若手考古学者から
取材先や資料を教示されており、フィルターバブルに陥っていたことが考えられる。

調査すれば容易に明らかになる事実であったのに,1審被告らは,これらの事実の意義について検討したり調査したりすることなく(乙27,原審における1審被告G本人),
もっぱら,I部長,J氏及びK教授や名前を明らかにしない考古学関係者からの談話に基づいて,聖嶽洞穴遺跡は捏造されたものと断定したものである。

福岡高裁 平成15年(ネ)第534号 謝罪広告等請求控訴事件

1審被告Gは,A氏とB元教授や別府大学の関係について
調査することなく,A氏からの取材結果をそのまま信用して,
裏付け調査をまったくせずに,本件記事3を執筆した

福岡高裁 平成15年(ネ)第534号 謝罪広告等請求控訴事件

1審被告Gは,A氏を信用したのは,同氏が,昭和37年にB元教授から
縄文土器2点を購入したが,B元教授に頼まれてこれを一旦返したところ,
その後20年間も返還してくれなかったと述べてそれらの縄文土器及び
その写真が掲載されている,ある文化展のパンフレットを見せられたが,
同パンフレットにはそれらの縄文土器は別府大学出品として
掲載されていたからであると供述する(原審における1審被告G本人)が,
このことと聖嶽洞穴遺跡の捏造とは何の関係もなく,
A氏からの取材結果を信用する根拠とはなりえないというべきである。

福岡高裁 平成15年(ネ)第534号 謝罪広告等請求控訴事件

A氏は昭和36年ころまで,別府大学の職員であった者であるが,
同人作成の文書からは,B元教授に対して私怨ともいうべき強い敵対感情を
抱いていることが明らかに読みとれる(乙35,62)

福岡高裁 平成15年(ネ)第534号 謝罪広告等請求控訴事件

要約すると、
A氏とB元教授との間には、物品の売買を巡りトラブルが生じた過去があり、A氏が私怨ともいうべき強い敵対感情を抱いていることが第三者から見ても明らかであるにもかかわらず、A氏からの取材結果をそのまま信用して,裏付け調査をまったくせずに,B元教授が捏造犯人であると推測され、学者としての姿勢まで問われる内容の記事を執筆した。

私怨と裏付け

なぜ、客観的事実が無視されたのか。
・スクープが欲しい記者が証人を利用した。
積極的に証言を提供する人物の動機を知りながら、裏付けを放棄した。
・教授の追い落としを目論んでいた証人がメディアを利用した。
記者の望むような回答を与えるために、証言を提供した。

記者と証人のお互いの利害が一致して、個人の名誉毀損にとどまらず、
抗議自殺という事件にまで発展し、学問の信頼までも揺るがす重大な
報道被害をもたらした。

にもかかわらず、未だ、その報道姿勢を顧みず、
裁判所の陰謀を語り、事実認定を「小さな不備」と矮小化する。
ならば、何度でも「聖嶽事件」について、語り続けなければならない。

参考資料:

※1
・実際の賠償額の算定は、直接的な損害を基準にしている。

※2
・遺跡の二次調査報告書が指摘した疑問点について解説している。
聖嶽洞窟の真相 : ねつ造された疑惑

http://bud.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/kc18303.pdf?file_id=2748


・聖嶽事件の概要

・事件の経緯が関係団体によって解説されている。

・アメリカにおける名誉毀損に対する懲罰的損害賠償について
衆議院会議録

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