春にして君を離れ

アガサクリスティの「春にして君を離れ」読了。

演出家の鴻上尚史さんがwebで連載している人生相談コラムで紹介されていた。なかなか考えさせられる物語だった。

主人公はイギリス人の40代女性、ジョーン。てきぱきとした性格で、歳よりも若く見え、いまだ美しさを保っている。夫のロドニーは町の弁護士で、子供3人は皆すでに手を離れている。物語は、結婚しバグダードで暮らす娘が体調を崩し、ジョーンが見舞いに駆けつけた後、ひとりイギリスへ帰路に着くところから始まる。偶然学生時代の友人と再会し会話したことがきっかけで、これまで何の疑いも持っていなかった自分の人生を見つめ直すことになる・・・

完璧で満ち足りている思っていた自分の人生が、実は仮初だったと知った時の衝撃はいかなるものか。夫も子供も自分を愛してなどおらず、自分が愛だと信じていたこともエゴの押し付けだったことをまざまざと思い知るのだ。

私の印象に残ったのは、以下のシーン。

冷静でシニカルなところのある娘エイブラルが、20歳も年上の既婚の医師カーギルと恋に落ち、貫こうとする。それを父であるロドニーが説得する場面だ。

エイブラルのような聡明な若い娘がかなり年上の男性に惹かれるのはいかにもあり得る話だし、男性側も妻が長年病気を患っているとなれば、若い情熱に癒しを求めてしまうのもよくわかる。

母であるジョーンはただ狼狽し、エイブラルの恋を一時の熱病だと片付けようとする。どこか遠くの学校へやってしまえば目が覚めて解決するのでは、とロドニーに相談する。しかし、ロドニーはエイブラルの性格を理解していて、真剣な恋であることがわかったのだ。

「後生だから、ジョーン、現実を直視してくれたまえ、あの子はもう子どもじゃない。無理やりいうことをきかせるわけにはいかないんだよ。寝室に閉じこめたり、ほかの土地にやったり、そんなことはできないし、したいとも思わないね。またたとえそんなことができたにせよ、ほんの一時凌ぎの策にすぎないんだから。エイヴラルは自分の尊敬するものによってしか、影響されないだろうね」

「つまり?」

「現実さ。真実だよ」

その時の説得が見事だった。不倫はいけないとか年齢が釣り合わないとか、世間体を気にした言葉ではなく、エイブラルを1人の人間として扱い、彼女自身に決めさせたのだ。

カーギルは仕事熱心な男性で、これまで立派な成果も残してきた。しかしエイブラルと一緒になることを選べば、これまでの業績や信頼がかなり損なわれることになるだろう。自分の生きがいである仕事ができない男が、どれだけ悲しく不幸な人生を歩むことになるか。それを君は側で見ていられるか、とエイブラルに問うのである。

それは、本当は農場経営がしたかったが、ジョーンの反対で諦めたロドニーの悲痛な心の叫びでもあった。そして賢いエイブラルはそれを理解し、折れるのである。いくらおとなびていても、父親に自分は結婚によって不幸になったと知らされた娘のショックは深かっただろう。そしてそれを伝えたロドニーも一世一代の決意だったのだ。非常に緊迫感のあるシーンだった。ジョーンもその場にいたのだが、意味がわかっていないのが悲しい。最後まで、若い娘の一時の気まぐれだったに過ぎない、片付いてよかったと本質を見ないのである。

書きながら思ったが、私はエイブラルのような女性が好きだ。憧れと言ってもいいかもしれない。

言葉数は少なく一見冷たそうに見えるが実はとても情熱的で、自分が信じるものに対して真剣。彼女の瞳にじっと見つめられたら、適当なことは言えないだろう・・・

ジョーンは非日常の空間に閉じ込められ、図らずも自分を見つめ直すことになった。これまで蔑ろにしてきた夫の気持ちに寄り添い、赦しを請おうと思うのである。・・・しかし、日常に戻ると、それも自分の思い込みだったように感じ、元に戻ってしまう、というのもよくある話なのか。

この小説で不自然に感じたのは、ジョーン以外の夫と子供たちはお互いに通じ合っているところ。ジョーンは皮相的で軽薄なところのある母親だったかもしれないが、不完全な母親でも愛情を求める子供がいるのではないかなあ・・・と思ってしまった。ジョーンを孤立させるために著者が頭で考えた設定のようにも感じてしまった。

ともかく、エイブラルのシーンだけでも何度も読み返してしまう。そんな場面に出会えただけでも読んで良かったと思える物語だった。





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