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子どもを産めないわたしだけど

同い年の友達が初めての出産をするらしい。

とんでもなくめでたくって、生まれる前なのに祝杯を上げたい気持ち。彼女が望み続けていたことだから、とてもうれしい。

一方で、それとは全然切り離して自分のことを考えて少しだけ落ち込んでいる。36という自分の年齢を実感するたびに「遠くまで来てしまったなあ」と思うし、自分はどういたいのかということを突きつけられる気がするから。

実のところ、昨年末から不妊治療でクリニックに通っていた。人工授精を何度か、それと体外受精も何度か。保存できたものを一通り使い切ったので、今は休んでいるというか、もう諦めたというか、そんな状態。母になるということに懐疑的だったわたしなので妊活アカウントなどを作っている人たちや同じクリニックの待合室で時間をともにしていた人たちと比べると全然子どもを望んではいないからいいのだけど、昔まだ自分がローティーンだったころのいつかのテレビで見た向井亜紀さんが言っていた「高田を父にしてあげたかった」の言葉には少し共感している。甥っ子たちと話している夫を見ると、この人はきっといい父親になったんだろうなと思うから。

とは言いつつ、現実はこの通りだ。

わたしは36歳だし、子どもはできない。仕事は楽しいけどやや中途半端で、体力的には毎日を乗り切ることに精一杯。部屋は散らかっていて、料理はへたくそ。体重も増えているけど、ねこはかわいい(突然)。

そんなきっと大きく変わらないだろう毎日に単純にじわじわと老いが積み重なっていくとわかっているわたしがやるべきことやありたい姿ってどんなものなのだろうか。

先日、同じく子どもを持てていない同年代の人と「子どもがいない人も、もう少し受け入れてもらえる社会になればいいのに」のような会話になった。それはそうだよな、と思う。もちろん子どもは社会の宝だから、産み育てる各家庭には尊敬の思いがあるしそれをサポートする気持ちもある。その上で、それでも子どもがいないわたしたちもわたしたちらしくあれたらいいのにな。

あーーー、いや違うな。
そういうそれっぽい言葉を並べた感情ではないな。

今のわたしは、子どもが産めなくてもなんでも、今の自分をちゃんと受け入れて前に進みたいと、割と強めに思っています!

というところだろうな。

わたしも含めて、みんなの毎日がすこやかでありますように。
これは本当に思っていること。


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