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志村麦穂「天使墜落(私)刑」(第1回カモガワ奇想短編グランプリ 優秀賞受賞作)

第2回カモガワ奇想短編グランプリの開催を記念して、前回大会の受賞作品をnote上で順次公開します。前回の選評はこちら

作者紹介
志村麦穂(しむら・むぎほ)
23年末より、書店員となる。未経験からコミックを担当。
BL、少女漫画に触れ、ヤンキーの多さに驚きを隠せない。

 飛行機の車輪が地表を離脱する。見かけの直感と反して、巨大な金属の塊が人間を満載して浮揚する。どうにも浮足立った非日常への没入が、薄い膜のように体表を覆い尽くした。それらはやがて、もったりと肺を蒸らす人いきれと熟れた土壌の臭いへ変わる。異国の風は皮膚の油膜から容易く浸透して、四角四面な液晶モニタ上で形成された人格を変容させる。この土地の熱気は、ひとを生きたまま腐らせるようだ。ぼくは肥やしのなかで一度分解され、人間性が発酵する。皮下や、肝臓や、脳髄のしわに蓄積された甘さが解体され作り変えられる。胃の底で沸き立つ興奮と、副産物として生成された価値観で内から歪んでゆく。目が冴える。顔面の毛穴が油脂を吐き出す。指先がもどかしく震える。黒ずんだ活力があふれる。
 脱出だ。ぼくは旅の本懐を果たさんと欲し、引き金に指を伸ばした。
 残心のような疑念だけが、日本にある自室の匂いを懐かしんだ。
 理由を問うには遅すぎた。自己の破壊と再構成のわずかな隙間。ぼくは人差し指に込める力をためらう。
 瞬きの瞼の裏側で、走馬燈のように夏の思い出が駆け抜けていった。
 ぼくはどうして、この土地に立っているのか。少しだけ思い出そう。
 それは大学の夏季休暇を利用した逃避行だった。
 東南アジアを巡る旅の終着点。気付けば、ぼくは名も知らぬ片田舎の工場にいた。誘拐されたカンボジアの山中で、ドーナツ工場の強制労働に就かされたのだった。

 タイで熱帯気候と水質に挨拶を交わし、腹痛に身体を慣らしたあとでカンボジアへと入った。現地を味わうという底の浅い見栄のために、都心のまともなホテルを予約しなかったことがきっかけだろう。立て付けは甘く、管理人の英語力は怪しい。ぼくはクメール語を勉強しなかった。荷物はおろか、自分の身体が持ち去られる覚悟など出来ているはずもない。
 プノンペンの格安の置屋で、質の悪いマッサージを受けたあとのこと。胡乱な空気に酔ってしまい、夜が更け切らないうちに民宿まで戻る。粗末なむしろで横になったまでの記憶はあった。
 蒸し暑さとノミの痒み、寝苦しさで薄目を開けると、振動する視界は安宿の剥がれた漆喰を映していなかった。手足には口の堅い麻紐。見切れる風景は暗緑色の陰気な樹々が流れていくばかり。助けを叫ぶ無意味さは、塞がれていない口が裏付けしていた。ぼくは幌のついたトラックの荷台で、誘拐された事実を突きつけられた。
 仄暗いトラックの荷台には、似たり寄ったりの境遇の人間が詰められていた。浅黒な肌の十歳前後の子供たち。彼らは布一枚に数えられるかという襤褸ぼろ姿。何日も身体を洗っていないのが、脂と埃で絡まった頭髪で伝わる。すえた腐乱臭のなかに漂う、揚げた砂糖菓子の甘ったるい臭い。タイで食べたカラフルな綿菓子が奥歯に挟まっている気がした。無意識に舌を動かして、歯の隙間を執拗にまさぐった。
「ハロォ、ハロォ」
 ひとりの少女がぼくの服を引っ張った。あやふやな英語で話しかけ、べたべたと無遠慮に触れる少女。ぼくが縛られていることに構わず、鼻先に汗と垢でべたつく胸板を押し付けてきた。太腿にまたがり、自らの股間を擦りつける。少女は浅い息を零しながら、見様見真似の児戯を繰り返す。身体を絡め、時折鳴き声をあげる。その耳障りな嬌声を他の子供たちが鳴き真似する。発情した猫の不愉快な輪唱が、幌の内側を埋めた。
「テン、ダラー」
 抵抗できないぼくの膝上で、ひとしきり仕事を終えた少女は両の掌を開いて差し出す。それが彼女らの知る唯一のやり方だった。
 何もできずにいると、少女は支払う気がないと判断し離れて行った。少女は他の子供たちの元へと近寄り、再び身体を触り、擦り合う。
「テン、ダラー」
 荷台の一角は群がる子供たちでダマになっていた。
 互いに貪り、対価を求めるも支払い能力はない。十ドルを求めてネクスト、ネクスト。男女の見境はなく、ひたすら身体を密着させる。かわいそうに、と乾いた同情を唇に乗せようとした。しかし、驚きがぼくの喉にこびりつき、形にならない呼吸だけが震えた。
 それは抱き合う子供らの腕にみえていた。折り重なる身体は見分けが付きにくく、人間を眺めているという認識がぼくの視覚を阻んでいた。
 天使だ。寂れた世界の掃きだめに似つかわしい、みすぼらしい天使たちがいた。
 彼らには翼があった。薄汚れた不揃いな羽根と土気色の皮。羽を毟られ泡立つ皮膚の、大きな手羽先。肩甲骨の間、脊柱起立筋を裂いて、もう二本の腕が張り出してきたように。蛹の羽化を思わせ、子供の背から別の生命体が這い出ようとする場面を幻視させた。
 ぼくは乗り合わせた天使たちを前に息を詰めた。
 仕事に励む天使たちをよそに、土を噛むタイヤが到着を告げた。
 暗緑の山中を切り拓いた窪地。三棟建ての工場があるほかには人里の気配がない。方角さえ見失う密林に塞がれ、まだカンボジア国内に留まれているのかさえ定かでない。トタン葺きの屋根は錆び付き、出入り口の解放された手前の棟からは、畜舎を思わせる糞尿の酸臭が漂っていた。
 ぼくや子供たち以外にも連れ去られた人々がおり、工場で働かされていた。労働者の大半が中国人で、監督役も中国語で会話するため、ぼくには内容が理解できない。監督役は常に銃を携帯しており、真っ当な施設でないことが伺えた。言葉もわからず、作業の指示もない。すべての仕事が見様見真似だった。
 工場の労働は大きくふたつに分けられる。ひとつは第一棟である鶏舎での肉体労働。
 飼育されているのは、翼の生えた子供たち。
 ここは天使の養殖場だ。
 鶏舎のなかは狭いケージで区切られており、二畳ほどの空間に天使が四、五匹ずつ押し込められている。動物愛護団体に訴えられそうなほど劣悪な環境でありながら、彼らは一日に倍は数を増やした。
 作業内容は主に糞尿の清掃と餌の管理。新たに繁殖した活きの良い個体を選別すること。そして、繁殖力が衰えた廃天使を処分すること。
 朝一番に行う鶏舎の清掃は、作業のなかでもっとも過酷だ。夜の間、閉鎖された鶏舎のなかで濃縮された臭気が肺腑を突き刺す。汗と愛液と排泄物の煮込みが発酵して熱を持ち、湯気となって屋内に充満する。鶏舎内は腐った催涙ガスで占められ、真正面から浴びるとぼくらの毛穴が涙を流す。換気し、小川で組み上げた水で洗い流す。ようやっと飼育ケージを覗くと、臭いをあげる汚泥から夜の間に増えた天使が蠢いている。それが日常になるほど繰り返された。
 誘拐された労働者は、工場に併設された木造の納屋で寝起きさせられた。ケージに押し込まれた天使たちと大差ない生活を余儀なくされたが、深い密林が逃げ出すことを許さない。夜中に漏れ聞こえる獣の唸り声、肌を噛む蟻、音もなく潜む毒蛇。粗末な食事、疲労とストレスの加圧。精神的な摩耗と飢えを満たすためには、気を紛らわすものが必要だった。思考さえ鈍らせる強い麻酔が必要だった。
 ぼくは天使に魅入られた。作業の合間、ぼくは天使たちの生態を食い入るように観察し続けた。
「テン、ダラー」
 天使は人間をみると、物乞いをする。
 元々安い置屋か、立ちんぼで金を稼いでいた子供だったのだ。売られたか、狩られたか。彼らは押し込められたケージのなかで身体を貪る。汗と垢を接着剤に肌を張り合わせ、浅い呼吸と唾液で渇きを埋める。重なり合った蛆が腐肉に群がってひしめく波と広がるように。
 前日に印をつけた古い個体と、夜の間に増えた新しい個体をより分け、新しいものをまとめて隣の第二棟へと送る。ぼくら労働者が第二棟に入ることは許されていない。第二棟は、三つある工場の建物で一等厳重な造りになっており、頻繁に外部の人間が出入りしていた。彼らは誘拐されたぼくらとは違い、黒いセダンに乗って現れる。仕立ての良いスーツに身を包んだ中国人、白人、日本人らしき姿も見受けられた。
 第二棟の警備は堅く、来賓に助けを求めることはできなかった。近づこうとすれば容赦なく射殺される。到着初日に、った労働者のひとりによるデモンストレーションが目に焼き付いていた。
 清掃と選別を終えると、最後は餌やりの時間。
 差し出された掌に皺の寄った十ドル紙幣を握らせる。天使は反射的に無機質な笑みを浮かべる。深夜のコンビニで繰り返される、自動ドアのチャイムじみた店員の愛想とよく似ていた。はじめてその現象を目にしたとき、天使に感じていた物足りなさの正体がわかった。
 十ドル紙幣を与えられた子供たちの頭に、白金の光沢を宿した輪が浮かぶ。それは頭から滲み出すように浮かび上がり実体を現した。翼と光輪。子供たちが確かに天使らしいことを証明する異形の姿。
 光輪の顕現を目にし、事前に調べたカンボジアのマナーを思い出した。子供の頭を不用意に撫でてはいけない。カンボジアでは頭に精霊が宿っていると考えられているからだ。果たして、子供たちの頭に潜んでいるものは、そんな上等なものだろうか。
 出来立ての光輪は湯気をあげ、焼き立ての熱気で空気を焦がす。分厚い耐熱手袋をはめた手で、光輪を掴んで引き抜く。束になった髪の毛が引き千切れる不快な音が響いて、天使の輪が持ち主の頭上を離れる。割って中身を確認すると、断面から覗いた生地の気泡は大きく、水っぽい。生焼けな上に、腐敗臭が付きまとう。労働者の一人が空腹に耐えかね、光輪をドーナツだと空目して頬張った。しかし、すぐさまひきつけを起こして吐き戻した。店に並べられる出来ではなさそうだ。
 出来損ないの光輪を投げ捨てると、腹をすかせた子供らが群がる。ひとりが口にして、ドーナツの味を占める。すると我先にと隣の天使の頭上へ手を伸ばす。ほかの子らも浮かんだ光輪に気が付いた。次に起こるのは奪い合い。素手でできたての光輪に触れ、焼き爛れた皮膚の臭いが鶏舎に籠る。
 臭いだ。とにかく鶏舎での作業は臭いとの我慢比べだった。
 ひとしきり食い終えて腹を満たすと、彼らは再び増殖しはじめる。
 痩せこけ、骨の浮き出た背が盛り上がる。吹き出物が老廃物を吐瀉するように、指が現れ、腕が生える。水面から息を求めて飛び出す勢いで、新しい腕は背中を抑えつけ身体を引っ張り上げる。天使の背から、もうひとりの新しい天使が生まれ落ちる。一匹は二匹へと増え、ぼくらはまた、新生児を選別する。
 清掃、十ドル、餌遣り、選別。
 鶏舎での作業はその繰り返し。時折、弱って分裂する体力のなくなった廃天使を、外に埋めにいく程度で単調な肉体労働。
 そして、労働者の仕事はもうひとつ。第二棟とベルトコンベアで繋がった、第三棟でのパッキング作業だ。コンベアで流れてきた天使から、出来のいい光輪を引き剥がしラインに流す。上質な光輪は専用のマシンで個包装される。今度はそれらを決まった数量箱に立てていき、段ボールに詰めて出荷準備を整える。
 包装のラベルには『ハッピィ・ドーナツ』のロゴが、数か国語に分けて印字される。英語、中国語、もちろん日本語も。段ボールに記されたメイド・イン・カンボジアの表記から、カンボジア国内から出ていないことだけは確認できた。

 変化のない単調な密林での生活は、曜日感覚が薄れる。自分が連れて来られて一週間か、一ヶ月か。判断する気も失せ、天使の孵化に見入る日々。変化は唐突に訪れた。鶏舎のなかに響く、アスファルトを踏みつけるヒールの音。
「彼らは、東南アジアのスラム街を中心に発生しています。突然変異や遺伝子異常を唱える者もおりますが、我が社では天使が人間に托卵して産ませた生命、というのが公式見解です。彼らはその外見的特徴から天使の名で呼ばれているわけではありません。天使として決定的な特質を有している故に、天使足り得るのです」
 律儀な靴音は踵を揃えて、ぼくの隣で止まった。
「お分かりになりますか?」
 端正なパンツスーツを着こなした女性。流暢な日本語を話す、おそらく日本人。爪先まで整えられたキャリアの風格は、東南アジアの場末には不釣り合いだった。女の手には、ぼくのパスポートが握られていた。
「あなたには新しい仕事をこなしてもらいます。どうぞ、こちらへ」
 人工的な香りのする無機質な女は一方的に告げる。
 女の後ろには銃を下げた監督役が付き従う。ぼくは腕を掴み上げられ、半ば引きずられながら第二棟へと連れていかれる。ぼくたち強制労働者が立ち入れない禁足地へ。重苦しい鋼板の扉を潜り抜けた先は、劣悪な外の環境とは別天地だった。
 空調の効いた室内。足音を吸い込む毛の長い絨毯。ただし仕切られた個室に扉はなく、廊下から室内が覗ける風俗店のような構造になっていた。虚ろな天使たちが列をなして個室へ吸い込まれていく。
 それは確かに売春のようであった。
 身形の良い来賓の男が、天使の一匹に十ドル紙幣を握らせる。個室にはこれから行われる奉仕の道具が整えられていた。リクライニングのチェアと湯気の立つ盥、ステンレスのカートに乗せられた銀の鋏に剃刀。使い込まれた道具は、長年染みこんだ使い手の油で黒く艶を放っていた。
 天使は髪を剃り落とされ、蒸したタオルで頭皮を直に温められる。毛穴と汗腺が開き切ったところで男はピンセットを駆使して毛根を引き抜いた穴に、羽毛を一本ずつ移植していく。天使は刺激を受ける度に身体を小刻みに震わせた。
 隣の個室では料理が行われていた。ライブクッキングといわれるもので、客の目の前で調理する見世物だ。卓につくのはひとりの天使。手には同様に十ドル紙幣が握りつぶされている。そして、調理されている素材もまた羽の生えた天使だったもの。目にしたのは、首を失って逆さ吊りで血抜きされている姿。床に転がされた虚ろな瞳と目線がぶつかった。それは、今朝、処分のために連れ出した廃天使の一匹だった。
 個室では多種多様の、常軌を逸したプレイが行われていた。来賓が子供に十ドルを握らせることで売買の契約が成立するらしい。
 湿った呼吸が脳に満ちる。甘く薄暗い興奮が耳を塞いで放さない。
 ひとしきり行為が満たされ終わると、天使の頭上に光輪が現れる。光輪の現れた天使は、ベルトコンベアへと送り込まれ、搬入口から第三棟へと消えていく。
「条件付けです。我々のドーナツ製造は、彼らの習慣を利用しています。彼らにとって幸福とは常に紙幣のあとにやってくるもの。紙幣を得ると条件反射で幸福感が得られると思い込んでしまう。そのあとにどのような刺激が与えられるとしても、彼らのなかで幸福だと認定されてしまえば、それは幸福に違いない。彼らは天使。人間に幸せを与える存在。天使を於いてほかに、だれが人類にとっての幸福を決めつけられましょうか」
 人間として怒らなければいけない気がしていた。ぼくが生まれ育った社会で習ったことだ。
 台詞はこう。こんな非道許されるはずがない、と。憤り、正義に火を灯すことが正しい行動とわかる。人間らしく、正しい道徳を叫ばなくては。
「あなたが目撃しているものは新鮮な幸福。我が社は慈善家の皆様の多大なご助力により、商品の生産を行っています」
 女は厚手のミトンを手に、ドーナツの出来上がりを確認する。溶けた琥珀をこぼした黄金色の生地。甘く香ばしい焼け目に、水飴状になった糖が泡立っている。胃が忘れていた蠕動を取り戻し、空腹感が内腑を突き刺した。
「天使の光輪は一種の記録、再生装置なのです。彼らは自らの肉体で体感した幸福を、このディスク状の記録媒体に転写する。光輪は経口摂取で人間の脳内に幸福を再生します。とても美味しいらしいですよ、なんせ幸福の味ですから」
 何日も着たきりのジーンズのポケットに手を入れた。丸まった紙幣が指先に触れた。
「ユーザーは常に新しい刺激を求めるもの。幸福は舌を容易に肥やす。商売にとって飽きは天敵です。幸福の定義もまた更新していかなければなりません」
 ぼくの服の裾を小さな手が引っ張る。翼をもつ少女の眼は、茫洋とした奈落がすり鉢状に墜落していく。欲しているのは即物的な刺激と、現金な救い。それが社会の増刷した妄想だったとしても、彼らが気付くことはない。
「テン、ダラー」
 少女は両手を椀にして、施しを乞う。
「さぁ、労働の時間ですよ」
 女はぼくに拳銃を手渡した。肌に張り付く鉄塊の、突きつけられる本物の質量。
 天使と、拳銃と、十ドルと。
 彼らは饒舌にぼくの道徳を説き伏せる。空腹なぼくに甘い誘惑。
 そう、怒らなきゃいけないよ。正義はぼくの傍らに寄り添っている。
 だから、やってもいい。間違っていない。
 決して、ぼくの興奮なんかじゃない。

 一発。反応の遅れた監督役の胸に与えた。
 乾いた反動と無味乾燥な正しさの確認。胃の底を揺さぶられる高揚。ぼくのはじめては呆気なく終わりを迎えた。通り過ぎればこんなものか、と嘆息さえする。そして一回り重く、銃を絡めた質量が増えた気がした。
 次いで、熱を帯びた銃身を少女に握り込ませる。背後から抱きすくめるようにして、銃床を支え、引き金に指を添えさせる。皮膚の上で垢の腐った滑りと、黴臭さが肌を伝って染みこんでくる。翼が定期的に引き攣り、狙いがぶれる。少女は小さく息をあげ、ぼくの腕のなかで薄い胸を上下する。首筋に頬を寄せ、撃てと囁く。
 ぼくは少女の指ごと引き金を押し込んだ。
 さらに一発。今度は女の腹に孔を穿った。
 少女は撃つ。覚えたての衝動で。同胞の天使を、彼らを飼う雇い主を、欲を満たし続ける慈善家たちを。まっさらな無垢のまま、教えた通りに引き金を引き続ける。ぼくは言い訳のように、少女の頭をぞんざいに撫でる。差し出された掌に十ドル紙幣を握らせて。

 工場は燃える。一度火を点けると、面白いように燃え上がった。
 少年少女天使たちは黒曜石の眼に炎を写し取る。
 多湿のなかでも燃料を呑んだ火は威勢がいい。都市から離れた山奥の立地だ。スコールが諌めてくれるまで燃え続けるだろう。その奥に隠した悪事さえも灰に変えながら燃え続ける。
 ぼくはその光景を眺めていた。少女の手にある拳銃は撃ち尽くされ、スライドが後退した状態で固定されていた。少女の身体に不釣り合いな、無骨で洗練された暴力の形。大人子供、性別、立場に関係なく、銃口の前では平等に暴力を受ける。もしも、この世に完璧な幸福なんてものがあるとするならば、その平等さは暴力に似ているだろう。
 天使たちの頭上には、白金の光輪が浮かぶ。
「素晴らしい成果です。しばらくは、この味が市場を席巻するトレンドとなるでしょう」
 撃ち殺したはずの女が白けた拍手を振りまく。幻聴だ。
「天使は増殖するたびに、覚えた幸福で光輪を産み出すことができます。しかし、何度も複製を繰り返すうちに品質が劣化していく。幸福とは簡単に劣化して、陳腐化する。気軽にロングセラーとはいかないものです」
 天使は増える。幸福の輪を回して。薄汚れた羽ではどこにも飛んでいけないのに。
「テン、ダラー」
 少女は再びねだる。壊れたレコーダーは繰り返す。幸福が擦り切れて、味がしなくなるまで繰り返す。
 天使は増える。
 天使はねだる。
 たった十ドルの幸福を握り締めて。
「さぁ、売ろう! 幸せのドーナツを」





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