カモガワ奇想短編グランプリ 大賞・優秀賞発表および選評
厳正なる審査の結果、大賞1作品、優秀賞3作品を以下の通り選出いたしました。
大賞 石原 三日月「窓の海」
優秀賞 小野繙「幼女の王女」
優秀賞 志村麦「天使墜落(私)刑」
優秀賞 織戸久貴「下鴨納涼アンソロジーバトルコンテスト」
大賞、優秀賞にはそれぞれ副賞としてAmazonギフトカード2万円分、Amazonギフトカード5000円分が贈られるほか、11月の文学フリマ東京にて頒布予定の『カモガワGブックスVol.4』に作品を掲載する予定です。
一次審査までの結果は以下の通りです。
カモガワ奇想短編グランプリ 選評
鯨井久志(カモガワ編集室)
まず、今回の大会を開催するに至った経緯を簡単に説明しておきたい。
私自身がいわゆる「奇想」(媒体は問わない)に惹かれる、というのが第一だが、それ以外にも理由はある。思うに、小説の世界は複雑怪奇である。文学フリマや各種新人賞の盛況ぶりを見て分かるように、今や「書き手」となるハードルは下がり、その数は途方もないほどに多い。だが商業誌での活躍となると、今なお出版社が開催する「賞レース」に出場し、その中でも「優勝」することが実質的なスタートラインとなっている感は否めない。
他の業界ではどうだろうか。私がよく観測する世界であるお笑いの空間では、小説同様に賞レースがあり、数多ある作り手(=芸人)が鎬を削っている。しかし、彼らの「成功」には小説よりも多くの道筋があるように思える。YouTubeがきっかけで世に出る者もいる。テレビの露出はほとんどなくても、ライブシーンでは大人気の者もいる。何より、賞レースで「優勝」しなくとも、「最終候補」に残れば、いや準決勝や準々決勝までの進出であっても、人気を博し、芸だけで食っていけている人びとも少なくない。
小説の世界でもそうはならないものか。単なる裾野の広さの違いと切って捨てるには早いのではないか。私は両方の世界を見聞するにつれて、そう思う気持ちが増していった。
今回の「カモガワ奇想短編グランプリ」がこうした小説の世界に風穴を開け、必ずしも出版社の主催する大会で優勝せずとも、筆の力で食っていける……まではいかずとも、幾ばくかの金銭を得られる価値のある存在と認められるための手段になればよいと願っている。あるいは、そこまではならなくとも、硬直化した業界に多様性を生み出し、新たな評価軸を示すひとつの一要素たり得ればと願っている。
余談だが、既発表作品でも応募可としたのは、お笑いの世界の賞レースに合わせたものである。かの世界では、小規模な賞レースで優勝した「作品」を、後年大きな大会で掛けて評価を勝ち得た例がいくつも存在する(例えば、霜降り明星やオズワルドはABCお笑いグランプリで掛けたネタをM−1グランプリでも演じ、高い評価を受けている)。また、応募段階にて一行梗概および三行梗概の提出を求めたのは、SNS時代において、少しでも広く作品へのアクセスを促すためには、作品へのキャッチコピー的な切り取り方を作者自身もある程度心得ておく必要があるのではないか……と考えたことに起因する。Twitterで「〜な話」とともに4ページ漫画の画像が添付され、数千〜万規模で拡散されていることを思えば、短編の範囲においてもこの応用は可能ではないだろうか(実際、三方行成氏の作品など成功例はある)。
一個人の微々たる運動かもしれないが、こうした草の根的な動きがいつか大きなムーブメントを起こしかねないことを、そして逆に言えば何もしなければ何も起こらないのではないかと、私はこの際声を大にして言いたい。また、こうした意図とは無関係に、百作品弱もの奇想短編の作者の方々が、初回開催の大会に応募して下さったことに関して、この場を借りて感謝を申し上げたい。
以下、選評に移る。
大賞 石原 三日月「窓の海」――さまざまな窓が水平線まで並ぶ〈窓の海〉の話
今回大賞と決めた石原 三日月「窓の海」は、奇想がもたらす幻想的なヴィジョン、そしてそれが織りなす叙情性が極めてすばらしい物語だ。
十年に一度、海岸の見渡す限りを埋め尽くす硝子窓。それは〈窓の海〉と呼ばれ、主人公はその窓磨きのアルバイトに従事している。時折り〈窓〉の向こうから瓶に入って届く手紙には、〈窓〉の向こう側へ落ちることを選んだ人々からのメッセージが入っている。〈窓〉の向こうには、あったかもしれない世界、今の現実とは異なる自分の世界が広がっているという……。
まず、海岸をおびただしい数の窓が覆うという視覚的な奇想性が群を抜いてすばらしい。そして、〈窓〉を通して示唆される登場人物の人生のあり方を、〈窓〉の向こうへ旅立った者と、〈窓〉の向こうからやってきた者との両者を描くことで、想像の余地を残しながらも彼らが選んだ選択の重みを感じさせる筆致が見事。ガラスと人生という共通項から、ボブ・ショウ「去りにし日々の光」のスロー・ガラスを想起させもする。今回の募集要項に盛り込んだ「奇想あふれる優れた短編小説」をこれほどまでに満たす作品はそうないであろう。文句なしの大賞受賞作として推したい。
優秀賞 小野繙「幼女の王女」――娘に大量の幼女がへばりつく話
奇想にはユーモアとそれによって肉薄するホラー性がつきものだが、その点で小野繙「幼女の王女」は群を抜いていた。
まず、何の脈絡もなく、主人公の四歳の娘が他の幼女を惹きつけるようになり、彼女を中心に幼女が群がるようになる、という設定からしておかしい。へばりつく幼女の数はますます増えていき、最初は二人だったのが四人、七人とエスカレートしていく。幼稚園から娘を離すものの、どこからか幼女は湧いて出て、ついには車内やエレベーターの中にも現れるようになる。こうなると、無垢で可愛い存在としてみなされている幼女もホラー的な怪異へと姿を変える。映画『シャイニング』で通路に立つ双子の姉妹も不気味だったが、どこからともなく入り込み、微笑みを浮かべながら「ごちゃい」としか答えない本作の幼女も相当不気味だ。
奇想の発端があり、そこからエスカレーションさせていく作品の構造自体はオーソドックスだが、本作は設定のユーモラスさとそこから引き出される意外な形での恐怖性とがうまくマッチしている。絵面のキュートさと状況の不条理性とのあり得ない取り合わせも想像するだけで奇天烈で面白い。文体も脱力させるところがあると思いきや、要所はしっかり締めることで、ユーモアとホラーの釣り合いをうまく取っており、さりげない技術性も高い作品だと言えよう。
優秀賞 志村麦「天使墜落(私)刑」――カンボジアで誘拐され、工場でドーナツを作る話
カンボジアの山中に誘拐された主人公は、工場で養殖される天使――もとは置屋や売春で暮らしていた現地の子どもたち――を目撃する。工場で彼らは、十ドル紙幣を握らされたのち、刺激を与えられて生み出す光輪を回収される。幸福の条件付けによって生み出されるそれは一種の再生装置であり、彼らが体験した幸福を摂取したものの脳内に再現する。すなわち「幸福の味のドーナツ」となって、包装されたうえで世界中へ出荷されるのだ。
天使を養殖するという発想に加え、彼らに機械的な条件付けを利用して幸福のドーナツを生み出させるというグロテスクな図式が、シュールかつ風刺的な作品。資本主義的な大量生産、そして発展途上国からの搾取という構図へのアイロニカルな視線と、「幸福」というものの相対性、際限のなさをこの字数で描き出す筆力が凄まじい。救いのない展開だが、厳しい現実の一面とそれに対応する幻想的な奇想との組み合わせが見事で唸らされた。
優秀賞 織戸久貴「下鴨納涼アンソロジーバトルコンテスト」――下鴨古本市でアンソロジーの大会が開かれる
ブックキュレーションが競技化され、〈アンソロジーバトル〉と呼ばれる知的競技が発展していくさまを描いた作品。
五つの短篇小説を並べる対戦型競技として、「テーマデッキ」や「ストーリーデッキ」といった架空の戦略が並べられていくディテールもユーモラスだが、途中で登場するアルゼンチンからの留学生が考案した「収録順という概念がなく、あらゆる順序で読むことができ、順列によって理論上一二〇通りの読みが成立する」〈石蹴り遊び〉革命、の発想にやられてしまった。そして最後には、物故作家の未発表原稿で編まれたデッキを持参する騎士――むろん、その実はからっぽの「不在の騎士」である――まで登場させてしまう遊戯性!
いささか海外文学ファン向けの小ネタに走り過ぎのきらいはあるが、架空の競技の歴史を描くという語りの切り口と、その中で展開されるいけしゃあしゃあとしたユーモラスな発想を評価したい。
以下、賞から惜しくも漏れてしまった作品の紹介を。
藤井佯「とり、の、しんわ、を、つたえ、ます」は、鳥だらけの惑星に調査員として降り立った「わたし」が、鳥の歌声の中のみに存在する知的生命体と遭遇し、惑星の過去の遍歴を伝え聞く話。鳥だらけの惑星、歌の中にだけ存在する知的生命体といった発想がすばらしく、また語りの特性を活かしたオチも効いている。鳥の歌から推察される壮絶な過去の物語も叙情的だ。展開により厚みがあればよかったが、本作は本作自体で閉じている(完結している)感もあり、なかなか難しいか。作者のこれからの作品に期待したい。優秀賞の枠が限られているので入れられなかったが、個人的にはとても好きな作品。
吉美駿一郎「群れのルール」は気候変動によってタワーマンションが人を喰うようになった世界の物語。この発想自体はすばらしく、巨大知性体としてのタワーマンションの生態を描くパートは面白い。後半の人魚のエピソードとの食い合わせが若干不釣り合いに感じられ、奇想の渋滞を起こしている感があったのがややマイナスに思えた。タワマン生物の生態パートを増やしたバージョンでぜひ読んでみたい。
筏九命「ピザ葬」は死んだあと、遺族が遺体をピザにして食べる風習のある世界で、祖父をピザにして弔う話。一貫してピザにされてしまった祖父をみなで食べるという場面が描かれ、その奇妙さとシュールさが笑いを誘う。「おじいさんが冷めるよ」というさりげない台詞一個を取っても、非日常的な情景にも関わらずそれを日常として受け入れている人々の奇妙さが際立っており、マジックリアリズム的な面白さがある。展開の少なさから、ユーモア・ホラー枠として「幼女の王女」に競り負けてしまった形だが、個人的にはとても好きな作品の系譜の一つ。
上雲楽「はじまりの言葉」は一貫して不穏な雰囲気の漂う作品。「斎藤かおる」と呼ばれる死体があると主張する人々が現れるが、その死体の姿は物体としては見つからない。しかしいつからか奇妙な発音を「目撃者」たちは発するようになり、その発音と名前は次第に伝播していく。いつしか誰もがその名を口にするようになり、赤子は喃語よりも早くその発音を行うようにすらなる。世界的な言語の忘却が起こるが、それは忘却ではなく再生であった。原初の言葉、最初の人間と同時に作られた最初の言葉を思い出していたのだった。
一行梗概では「存在しない死体が存在しない言葉を呼び出し原初の言葉を思い出す話」とうまくまとめているが、展開のスケールに対して説明不足の面も否めない点がややマイナスだった。ただし、この作品にしかない独自の雰囲気に加え、ボルヘスの諸作品を思い出させる無限やアレフといったキーワードへの言及もあることから、奇想的スケールの大きさという面でぜひ評価したかった作品である。
巨大健造「おいしいはかいしのそだてかた」は墓石が食べられる世界での話。食用墓石はそこに祀られる人の人生によって味が変化するという。墓石のグルメレポートサイトに親類や昔の恩師、果ては戦国武将の墓石の味のレビューを掲載する、などという下りはユーモアかつ悪趣味的で非常に面白かった。ただし、後半からのイトコ絡みの筋がいまひとつ飲み込みづらく、優秀賞には至らなかった。
理山貞二「四元数の悪魔」は縦・横・高さの代わりに3つの虚数軸を持つ世界から、四元数カルトによって召喚された怪物を、主人公が迎え撃つ話。奇妙な怪物を止めるための手段が、観覧車の中のゴンドラに鏡地獄よろしく内側が鏡になった球体を忍ばせ、そこに接近させるという手段なのも数学的な奇想があって面白い。とはいえ全編を通して読むと怪獣ものとしてのテイストが強く、奇想という雰囲気はやや薄れてしまっているので、奇想を重視する本大会では評価はやや低く付けざるを得なかった。ただし、小説としての面白さは十分にある。
灰都とおり「生態系に悪い影響を与えることがあります」は、庭に高校時代の憧れの「先輩」が「咲いている」ことに気づいた語り手が、庭に先輩を繁殖させ理想の庭を作ろうとする話。先輩の姿から高校時代の思い出を想起することから、好みのものをかけあわせてさらなる精緻でバリエーションに富んだ先輩を生成し、幼少期から高校卒業までともに過ごした時間をジオラマのように庭に再現して配置していく語り手の姿はさりげないようでいて、明らかに狂気を孕んでいる。だが現実にはそんな思い出は存在しなかったことを突きつけられた語り手は、安住していた内宇宙たる庭を破壊し、先輩を外の世界で繁殖させようとする。世界それ自体を「わたし」と「先輩」の箱庭にするべく、生態系を破壊し、世界を滅亡に導く語り手は、純粋な思いに駆り立てられている行動なだけに、よりその異常さが垣間見える。
ある種ウェルメイドな「セカイ系」的なストーリーラインであり、そのウェルメイドさがややベタすぎると感じられるところはあるのだが、植物として生まれる「理想の先輩」という発想を軸にして発展させていく点は高く評価したい。
青島もうじき「リレイアウトラ」は文選工が世界を栽培し、文字が物語という機構を通じて成長し、熟した頃合いを見てまたさらなる文字を採集していく世界での物語。バベルの図書館を思わせる無限の組み合わせが詰まった倉庫や、二人称で語られる「あなた」が作者になろうとして物語の執筆をはじめるところなど見るべき点は多いが、円城塔『文字渦』との類似性がやや濃すぎる(おそらく意図されたオマージュだとは思うのだが)という印象がどうしても拭いきれなかった。このテーマで書こうとするのならば、より強固な独自性が求められるのではないか。
千葉集「公爵の二つの領土」は国際法的に身体がそのまま公国の領土となった公爵の生涯が、体内に棲むシマリスによって語られるという驚天動地の奇想が炸裂した作品。公爵を巡る各国の思惑や外交のありさまなどはユーモアに満ち、何と言ってもそれが体内に棲むシマリスによって語られるという語りの工夫もあり、すばらしい作品である。惜しむらくは、字数制限のためか詰め込まれるエピソードの数にどうしても不足を感じてしまったところ。この作者には8000字という制限はあまりにも短すぎたような気がする。ぜひロングバージョンを読んでみたい。
以上、やや駆け足な部分もあったが、最終候補作となった13作品を振り返ってみた。
一次選考の段階で5段階評価のうち5点を付けたものを最終候補として選んだのだが、それにふさわしい傑作揃いであり、最終選考は(一人で行ったというのもあるが)大変難航した。惜しくも賞から漏れてしまったものであっても、変わり映えのしない日常を打破して現実に風穴を開けるような奇想がきらめく作品であり、そうしたものをこれほどまでにたくさん読めたことは、奇想を愛する読み手の一人として、この上ない幸せな時間であったことを申し添えておきたい。
応募してくださった皆さま、本当にありがとうございました。
これからも奇想小説を書き続けていっていただければ幸いです。
※なお、今回最終候補作に選出した13作品を収録した奇想小説アンソロジー『13の奇想(仮)』を近日中に発行・頒布できればよいな……と内々で考えております。まだ執筆者のみなさまへの許諾も取れていない状態ではありますが、実現すればよいなと思っている次第です。また後日、詳細を報告できる状況となれば各種SNS上でお知らせします。何卒よろしくお願いいたします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?