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スコットランド日和③阿比留久美 雑談の効用

 スコットランドのエジンバラで研究生活を送っている阿比留久美さん(早稲田大学、「子どものための居場所論」)の現地レポートを連載します(月2回程度の更新予定)。
 ★「子どものための居場所論」note はこちらから読めます。
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 エジンバラで生活していると、通りすがりの人とちょっとした会話を交わす機会がよく生じます。

 お店やバスの店員さんとも、数分楽しそうにコミュニケーションをとって、去っていく人の姿を目にするのは日常茶飯事です。店員さんや運転手さんと話している時には、そこまで長時間話すわけではないのですが、でも、列をつくって待っている人がいてもあまり気にせず言葉のキャッチボールを交わしていて、それを周りもあまりストレスに感じずに待っている様子なことも印象に残ります。

 店員さんや運転手さんのような仕事をしている人だけでなく通りすがりの人同士でも頻繁に会話は生まれます。たとえば、バスを待っている時に、「バスがなかなか来ないね」とか「あなたは何番のバスを待っているの?」というようなことをきっかけにして、話がはじまるのです。そこで話す話は、様々で「エジンバラは世界中から観光客が来るし、大学に留学に来る人も多いから、とっても国際的で、エジンバラの人は海外の人に慣れているし、welcomeなんだよ」とか「トラムができるまでエジンバラはもっとのんびりした街だった。今ではすっかり忙しい街になってしまった。」という街の特徴や変化についての話だったり、「8月のフェスティバルの期間は、スリが増えるから、街に出る時はカバンを斜めがけにして上着を着ていくほうがいいよ。ポケットに入れておいたりするととられちゃったりするから。・・・わたしが思うに、スリはエジンバラの人じゃなくて他のところから来た人だと思うんだよね」という生活上のアドバイスだったりします。時には自分の家族や友達の話を聞くこともあります。

 通りを歩いていても、気軽に声をかけられることがけっこうあります。わたしが小学生の息子のキックボードに乗っていたところ「それは君のキックボードなのかい?ずいぶん楽しそうだね」と話しかけられたり、息子が学校に行き渋ってふくれっつらで歩いていたら、向かいから来た男性が笑いながら息子の真似をして「ご機嫌斜めだね」と言ってきたりするのです。

 わたしはあまり英語が得意ではない上に、相手はスコットランドなまりの英語で話しているので、時には半分以上相手の言っていることがわからなかったりもするのですが、それでも理解できたところをひろって応答していると、それなりに長い間コミュニケーションが続いていきます。

 そこで聞く話は、特別な話ではなく、「ふつうの日常」の情報なのですが、日本からやってきたわたしからすると貴重な情報であることが多く、雑談を通じて、少しずつスコットランドがどういうところなのかを知っていっているような気がしています。何気ない会話がもつ情報量は大きくて、ずいぶん、通りすがりの人同士の会話からエジンバラのことを教えてもらっていて、このやりとりがあったから、エジンバラでの生活に慣れていきやすかったと感じています。

 ひるがえって日本では、通りすがりの人同士が会話を交わすことは、道を聞くとき以外あまりないのではないでしょうか。地方部によってはそうでもないという話も聞くのですが、少なくとも都会では、知らない人同士が雑談をする機会はそんなにありません。雑談がないことで、日本での生活が孤独なものになっているように感じます。

 わたしが子どもの頃から、高齢者の人がそこまで体調が悪いわけではないけれど頻繁に病院通いをして、そこでおしゃべりをしていて、常連さんが来ていないと「(病院に)来ていないなんて、どこか具合悪いのかしら」なんて話しているという笑い話が話されていました。あるいは、コンビニエンスストアやスーパーに買い物に来たおばあさんが、何十分も店員さん相手におしゃべりをしてから帰っていくというような話もしばしば耳にします。病院は健康を維持する場であり、スーパーやコンビニエンスストアは食料などの生活必需品を購入する場であり、生活の中でも優先順位の高い必要性を満たす場です。そういうところで、人と交流する機会の少ない人は、時にコミュニケーションのニーズを満たしているのです。

 地域の喫茶店やバーの中には、交流の場として想定されているところもけっこうあります。ですが、そのような飲食店は、生活の最低限の必要を満たすばではなく、「ゆとり」や「余暇」を過ごす場なので、金銭的な余裕がないと、なかなかそこに通うということはむずかしいものです。

 そもそも病院やコンビニエンスストアやスーパーは、交流をすることが目的とはされていない場所ですし、どの場も店員と客とが金銭とサービスの授受をすることによって、そこに行く/居ることができる場です。

 金銭を媒介にせずとも、客ー店員という関係でなくても、ちょっとしたコミュニケーションを人ととることができる場が街のいたるところにあったら、孤独や暇もまぎらわすことができるだろうし、出会いも広がるのではないか……エジンバラでの日々のやりとりの中でそんなことを感じています。
 

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