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縄文人に学ぶ、環境も人間も疲弊しない持続可能なライフスタイル

先月刊行された『縄文人がなかなか稲作を始めない件〜縄文人の世界観入門』の著者・笛木あみ氏に、刊行にあたってご寄稿いただきました。



 縄文時代の入門書を書きませんか、と担当の編集者様よりご依頼をいただいたのはもう一年半も前のことです。当時私は我が家の第一子となる長女を出産して2ヶ月足らずで、新生児との生活にてんやわんやしていました。それから丸一年かけて、小さな娘に翻弄されながら、担当者様に甘えて締め切りを延ばしてもらいながら、ゆっくりと執筆してきました。やっと出版にこぎつけた今、娘はまもなく2歳になろうとしています。書き始めた頃はただ寝ているだけだった子が、今では歩き、走り、しゃべり、跳び、踊り、歌を歌っています。

 子供は本当にパワフルです。子供の生きる世界では、全ての傾注が「今この瞬間」に注がれ、彼らの世界の全てが、身体性を伴った実感で構成されています。彼らを見ているとつくづく、人間の本来のありかた、自然な立ち振舞はとても美しいのだと感じます。抑圧さえされなければ、人間はみんな、こうやって自由に踊ったり、走り回ったりすることもできるし、太陽の光を反射したアリのお尻をじっと観察してその輝きに興奮することもできるし、蝶の飛ぶ軌道を追いかけたり、空に浮かぶ雲や月と真剣に向き合ったりして、本当の意味で生き生きと、今この瞬間に両手に抱えることができるだけの世界を、全力で謳歌することができるのだと思うのです。

効率性からかけ離れた縄文文化の魅力

 話がずいぶんずれたようですが、私は子供を見ていると、いつも「縄文的な何か」に近づいているような感覚になります。それはもちろん、縄文人が子供のような人々だったからではなく、縄文人の自分を取り巻く環境との関わり方が子供のそれに似ているような気がするからです。

 縄文時代は、1万年間もの長きに渡って、人間が自然を支配する農耕を選択することなく、かたくなに自然との共生を続けた時代です。「自然との共生」とは、人間社会を自然の一部として組み込んでいく暮らし方であり、日々変わり続ける自然とその都度真摯に向き合うことでしか成立しない暮らし方です。そこでの自然と人間の関係性は、現代における対人関係がそうであるように、大変微妙な感受性を必要とするものであったことでしょう。それは「今この瞬間」にフォーカスされた五感や感情を伴った身体的リアリティであり、彼らの世界は常に、動物の息遣いや瞳の奥に宿る生命、あるいは植物のにおいや感触と共にあったことでしょう。そして自然と常に真摯に向き合っていればこそ、自然を想像力の源泉にして他界観や死生観を含む世界観や思想も育まれ、独特なものづくりも花ひらいたのだと思います。

 自然を想像力の源泉にして生まれる思想やものづくりは、現代の科学的思考を源泉に生まれるものとは正反対といっていいほど、まるで違うものです。縄文人の世界観を表す、あるいは彼らの精神世界に関わるといわれるカルチャーは、現代的価値観からすると、とてもムダの多いものです。まず土器の装飾が過剰だし、何に使うのかわからない謎の巨大モニュメントを作るために100年も200年も時間をかけたりするし、生活に必要のない流行りもののために奈良から長野まで旅することもいといません。そうかと思ったら、生活に絶対に必要であろう何の問題もない健康な歯を、危険を冒してわざわざ抜いちゃったりもします。

 効率性を重視する現代を生きる私たちがこうした文化に出会うと、戸惑わずにはいられません。いったいなぜこの人達は、(こんなにヒマなのに)戦争も経済発展も望まず、こんなムダなことに労力をかけ、時間を注いでいるのかと。しかしこれらはどれも、縄文人の世界では実利や効率などを意に介さないほど大切なことだったのであり、どうしてもやらなければならなかった彼らなりの道理があるのです。そしてその道理に耳を傾けてみると、それがあまりに抜け目ないので現代人は感動してしまいます。彼らの世界観は、毎日密接に関わる自然を含んだ包括的なものだったからこそ、環境にとっても人間にとっても無理がなく、一万年もの長きに渡って「持続可能社会」を実現できたのだと思います。

コロナ以後の「ニューノーマル」と縄文

 さて、新型コロナウイルスの蔓延によって、私たちは半ば強制的に今後の生き方や社会のあり方を考えさせられることになりました。縄文人の、環境にとっても人間にとっても「無理のない」生き方は、従来の価値観に限界を感じながらも、どう動けばいいのかわからない現代人にヒントを与えてくれるはずです。彼らの生活の仕方、ものごとの捉え方に触れることで、もっと多様性のある生き方にオープンになれると思うのです。

 私は、子供の笑い声を聞く合間に本書を執筆しながら、横浜の片田舎に暮らしつつ編集者様と電話やメールでのんびりとやりとりをしながら、コロナによって「ニューノーマル」となったこの新しい働き方が「縄文的」だと感じていました。ポイントは「今ここ」を全力で謳歌できる環境にあるということです。

 私は縄文時代の専門家でも研究者でも何でもないですが、諸先生方のすばらしい研究とたくましい想像力のおかげで、まんまと縄文文化に恋をしています。本書でご紹介する愛すべき縄文文化によって、縄文に興味を持つ私のような人が一人でも増え、縄文時代をより身近に、愛おしく感じていただけたら幸いです。そして縄文人の愛したこの小さな島国を、より愛おしく感じていただけたら幸いです。


『縄文人がなかなか稲作を始めない件』
目次
1 日本列島の歴史、ほぼ縄文時代問題
2 現代人もマネしたい?!縄文的身軽な定住スタイル
3 縄文時代のクリエイティビティがエグすぎる件
4 縄文人がなかなか稲作を始めない件
5 縄文スピリット 今も昔もこれからも!

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