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スコットランド日和⑥複雑なものを複雑なままに、自分の声をあげていくこと(1)パレスチナに連帯する集会・デモの話

 スコットランドのエジンバラで研究生活を送っている阿比留久美さん(早稲田大学、「子どものための居場所論」)の現地レポートを連載します(月2回程度の更新予定)。
 ★「子どものための居場所論」note はこちらから読めます。
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 今回は、2023年10月7日のハマスのイスラエルへの大規模攻撃をきっかけにはじまった、イスラエルのパレスチナ・ガザへの攻撃に対して、エジンバラ(やイギリス)での様子をみていて私が感じていることをお話したいと思います。

 まず、前提として、イギリス政府のスタンスとして、ハマスの攻撃の翌日には、いち早くイスラエル支持を表明し、ハマスをテロリスト集団として強く非難しています、9日には米英独仏伊の5か国が、イスラエルに対する支持と、ハマスによる攻撃を非難する共同声明を発表しました。そのような状況の中、イスラエルはガザへの電気や水の供給を止め、報復攻撃を開始し、ガザ地区ではすでに1万人以上が死亡し(11月6日のガザ地区保健当局の発表)、人口約220万人のうち半数以上が自宅から避難し、17万世帯の住宅が崩壊したということです。

 イギリスをはじめとした西ヨーロッパの国の政府がイスラエル支持を明確に表明したのに対して、市民たちからはイスラエルによるガザへの攻撃を非難しパレスチナへの連帯を訴えるデモや集会があちらこちらで起きています。

 スコットランドでも、ハマスの急襲から1週間後の10月14日にはグラスゴーやエジンバラ、アバディーン、ダンディーで毎週デモや集会がおこなわれています。

 エジンバラのプリンセス・ストリートという新市街の中心部を昼間に通った時には、さっそくそこでガザ侵攻に抗議する活動の準備をしている人たちを見かけました。14時からはナショナル・ギャラリーの前の広場(the Mound)で集会が開催され、その後世界遺産地区であるロイヤル・マイルをとおってスコットランド議会へとデモがおこなわれました。

 翌週10月21日も 同じ場所で集会・デモがおこなわれて、わたしはそこに行ってきました。

ガザ侵攻に抗議する集会・デモ(10月21日)

 エジンバラは、ストリートパフォーマンスが盛んで毎週末いろんなところでパフォーマンスがおこなわれています。この日も広場では太鼓とダンスのパフォーマンスをやっていて、その脇で集会の準備がなされていました。パフォーマンスを見ている人と集会に来た人が混ざりあいながら、集会のスタート時間が近づくにつれて広場にどんどん人が集まってきました。そんな中でもパフォーマンスはいつも通りに観客に拍手を求めたりしながらやっていて、最後は投げ銭を要求して終わっていきました。パフォーマンスが終わるとパフォーマーの人たちはさっと去っていって、それと入れ替わるように集会が始まりました。

 迫力ある楽しいパフォーマンスをする人たちがいる日常とガザへの攻撃に反対する集会・デモがおこなわれる非日常。いや、エジンバラではしょっちゅういろんなデモや集会がおこなわれているから、デモや集会だって日常なのか…。

 集会では、何人もの人たちがスピーチをしていて、その中にはガザから来た女性もいました。彼女は、こんなことを話していました、「毎日何千ものミサイルが昼も夜もガザに打ち込まれてきている。ガザで起きていることは、パレスチナの人びとが初めて経験していることだけれども、それがずっと続いている。多くの人が親を初めて失っている。多くの親は子どもを初めて失っている。子どもたちは親を初めて殺されている。親戚を初めて失っているし、友人を初めて失っているし、同僚を初めて失っている。初めての経験をしているけれど、痛みは更新されつづけている。今、子どもの将来の夢は『生きていること』になっている。」毎日パレスチナニュースで聞いていること、映像を見にしていることではありますが、それが一人の肉体をもった人の話として伝えられていく時に、自分の胸に訴えてくるものの大きさはずいぶん異なってきます。

 スピーチをする人は、中高年世代だけではなく、若い人もいて、様々です。むしろ若い人が少し多い印象で、ジェンダーバランスが考慮されたメンバー選定になっていました。集会に集まっている人たちも、エスニシティも、年齢も、多様でした。コールを呼びかけるのも、男性、女性、30代くらいの人、50代くらいの人と様々で、いろんな人がかかわっているのがわかるようになっていました。

こちらは11月4日の集会

 小学生や中学生年齢の子どもたちも壇上にいたり、集会にやってきていたりして、パレスチナの国旗を手にしている子もいます。パレスチナにルーツをもっているように見える子が多いですが、そうでない子もいます。自分がルーツをもつところが大変な状況になり、そこに自分の親戚や知り合いがいたり、自分の友だちが胸を痛めていることに対して、「いま、ここ」で考えたり行動する必然性がそこにあることをひしひしと感じます。

 日本では選挙権が18歳から付与されるようになった2015年に一部解禁されたものの、長年子どもは政治的活動をするべきではないとされてきました。自分の身の回りで起きている「政治的」なことにたいして「今の自分には関係のないこと」だと思いながら子ども時代を過ごすことがいいことなのか、どうなのか、私は家に帰ってからしみじみと考えこんでしまいました。今までやってこなかったこと、やるべきではないとされていたことを、大人になったからといって急にやるようになるのだろうか、社会で起きている色々なことにかかわらないことは、人を「みずからの歴史をつくる主体」ではなく「なりゆきまかせの客体」(ユネスコ「学習権宣言」1985年)にするのではないだろうか……。

 ちょっと長くなってしまったので、次回に続きます。

阿比留久美『子どものための居場所論』
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