見出し画像

【連載エッセー第30回】大学に薪棚を置く

 丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ります。(月2回、1日と15日をめやすに更新予定)
*********************************************************************************

 薪の季節になってきた。薪ストーブや薪ボイラーを使う季節は、1年先の冬に向けて薪づくりを進める時期でもある。剪定された枝が冬場に多く出てくるし、暑くなくて蚊が少ないときのほうが、木を切ったり割ったりする作業がしやすい。

 しばらく前に、大学で薪棚を組み立て、薪づくり作業場(と自分で勝手に決めた場所)に置いた(大学での薪づくりについては、第6回を参照ください)。それまでは平行に並べた2本の木の上に薪を積み上げていたのだけれど、薪をきちんと棚に入れることにした。

見た目も悪くないと思う

 薪棚があったほうが収まりがよい、というのも理由だけれど、薪棚で半年くらい乾燥させてから薪を家に移すようにしようと思った。木が乾くと、体積も減るし、軽くなる。地道にリュックで持ち帰るにせよ、まとめて車で運んでもらうにせよ、薪は乾燥させてから運んだほうが合理的だ。そう考えて、「切っては持ち帰る」というのをやめることにした。

 薪棚を作るのはやりすぎかなあ、というためらいはあった。薪づくりは、大学(施設課)に許可をもらってやっていることではない。薪棚まで置いてしまうと、さすがに何か言われるかもしれない。ただ、薪づくりをするなかで、切る前の枝や切った後の薪が作業場にかなり広がるようになっていた。ためらうのは、「何を今さら」という感じもした。それで、薪棚の設置を決行した。

 やってみると、思った以上に、薪棚は風景になじんでいる。まわりの木や草と調和している印象だ。こういうふうになるのは、京都教育大学の良いところだろう。殺風景な現代的ビルディングばかりの大学だと、こうはいかない。

 大学の雰囲気のなかで違和感が薄いせいなのか、薪づくりの作業にしても、薪棚の存在にしても、私が思っていたより自然に受けとめてもらっている気がする。横を通る学生さんたちも、特に目立った反応は示さない。大学のキャンパスの中にぽつんと薪棚があることも、作業着でもない中年男性が鋸で木を切っていることも、冷静に考えると当たり前の光景ではないはずなのだけれど、学生さんたちは平然と素通りしていく。

 それはそれでよいものの、そこに薪や薪棚があることの理由や意味をいくらか想像してみてもらえたら、という思いは少しある。たくさんの樹木が大学で生きていること、木の手入れがされていること、切られた枝はどこかに運ばれていること、枝は薪としても使えることなどは、たまに意識してみてもよい気がする。

京都教育大学は樹木が多い

 もっとも、私が薪づくりをしている理由をわかってもらうのは、けっこう難しいことだろう。薪棚のある作業場を見て、「気候変動の問題を考えて、薪づくりをしているんだな」と察してくれる人は、たぶん少ない。

 ちゃんと説明しようと思って、「なるべくガスや電気を使いたくないので」という話をしても、「薪を燃やしても二酸化炭素が出ますよね」と言われたりする(それ自体は、その通りだし、大事な視点ですが…)。

 薪づくりの真意を伝えるのは簡単でないけれど、まあ、一生懸命に伝えることもないと思っている。「大学で切られた木を薪にして使うのもありなんだ」「そういうことをする人もいるんだなあ」「けっこう自由にやっていいのかな」と、漠然とでも感じてもらえるとうれしい。大学という場の味、大学の魅力って、本当はそういう「いろいろありな雰囲気」にもあると思う。

気候変動と子どもたち 懐かしい未来をつくる大人の役割』
クリックすると詳細ページに飛びます

#里山 #里山暮らし #山里 #