【連載エッセー第28回】課題を先送りする
丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ります。(月2回、1日と15日をめやすに更新予定)
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テレビを観なくなった理由の一つは、テレビを観るための時間がなくなってきたことだと思う。
夏場は日の出の関係で、冬場は薪ストーブの関係で、早起きすることになるから、夜は早く寝ないと体がつらくなる。子どもが布団に入った後に大人だけでテレビを観る、というのが難しくなった。
それから、やることが多くてテレビを観てられなくなってきた、というのもある気がする。
誤解されがちだけれど、山里での生活は、のんびりしたものだとは限らない。我が家の暮らしも、ニワトリが庭で日向ぼっこをしているからといって、私たちがニワトリのようにのんびりしているわけではない。
冷静に考えてみると、当たり前の話だ。冬に燃やす薪を用意するだけでも、木を運んで、切って、割って、また運んでと、けっこうな作業をしないといけない。洗濯機を使わずに服を洗おうと思うと、洗濯機を使うよりも時間がかかる。
今年のことで言えば、畑にする土地を開墾して、畑の柵を作った。ニワトリたちが家に来たので、鶏小屋を建てることにもなった。そういうことにも時間を使う。
また、私の場合、「まち」に住んでいたときと比べて、通勤時間がずいぶん長くなった。前は往復で20分ちょっとだったのに、今では3時間ほどになっている。
そのうえ、家の近くにスクラップヤードができて騒音公害が発生すると、町内で話し合いをしたり、役所に行ったり、駆け回ることになる。
夫婦ともに、けっこう忙しい。妻の仕事がパートタイムなので、それで何とかやれているという感じもある。
ついでに、この機会に言っておくと、大学教員の仕事はヒマではない。これも誤解されやすいところかもしれない。平日の昼間に人に会いに行けたりするし、夕方の早い時間に学童保育の迎えに行ったりするし、子どもの授業参観や懇談会への出席率は高かったりするから、ヒマだと思われかねないけれど、そうではない。
たしかに、時間の融通はききやすい仕事だ。だから、子どもの学校行事には参加しやすい。けれども、時間の融通がきくことと、時間に余裕があることとは、まったく別の話だ。時間の融通がきくことで、時間に余裕がなくなることだってある。仕事の時間の枠がはっきりしていないので、ヘタをすると、際限なく仕事が入ってきてしまう。大学関係の仕事をしながら家や地域のことをするのは、楽ではない。
そんなわけで、家のことについては、「やりたい」「やらねば」と思っていながら後回しになっていることが少なくない。門のところの表札は、引っ越し直後に「とりあえず」ということで妻が字を書いて入れ込んだ板がそのままになっている。郵便受けも、「木か何かで自作したいね」と言いながら、1年半以上そのままになっている。物置き小屋を作る構想も、家の周りに木を植える話も、実現していない。懸案事項が積み上がっている。