【連載エッセー第10回】お風呂で靴下を洗う
丸山啓史さん(『気候変動と子どもたち』著者)は、2022年春に家族で山里に移り住みました。持続可能な「懐かしい未来」を追求する日々の生活を綴ります。(月2回、1日と15日に更新予定)
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10年以上前から使っていた洗濯機が壊れた。数年前から調子が悪く、だましだまし使っていたのだけれど、とうとう終わりがきた。
新しい洗濯機を買うのかどうか、私たち夫婦は迷った。洗濯機は電気を使う。今回のように洗濯機が壊れると、リサイクルに回る部分があるにしても、土には還らない廃棄物を増やしてしまう。ただ、(衣類の種類にもよるけれど)水滴が垂れなくなるほど素手で絞るのは難しいので、部屋干しするときのことを思うと、少なくとも脱水には道具・機械がいる気がする。
洗濯機を買い替えるか、手動脱水機にするか、妻といっしょに考えた。私たちが出した結論は、「どちらも買わない」だった。まずは手作業でやってみよう。洗濯機なり脱水機なりを買うのは、それからでも遅くない。
夕食のときだったか、家族でテーブルを囲み、「しばらく洗濯機は使わないことにします」と、子どもたち2人に宣言した。「パンツや靴下は、それぞれ自分で洗いましょう」という新しいルールも発表した。小学校5年生の息子は、「えぇ~」という反応で、「‟しばらく”って?」ときいてくる。すると、小学校2年生の娘が、平然と、「どうせ、そのまま使わなくなるんやろ」と口をはさむ(よくわかってる!)。洗濯機が壊れたときから、この展開は子どもたちの予想の範囲内にあったのだろう。
とにもかくにも、「洗濯機なし」の生活が始まった。冬場に冷たい水で洗濯するのはつらそうだったし、お風呂の湯を使うことにした。だいたい2日に1回、お風呂に入るときに、風呂場で洗濯をする。洗濯物は絞っておいて、次の日の朝、さらに絞りながら干す。
洗濯機がなくなって変わるのは、洗濯のやり方だけではない。洗濯の負担を抑えるには、手で洗いにくい洗濯物を減らすことが重要になる。
最初に封印したのは、バスタオル。洗うのも、絞るのも、一苦労だ。そのくせ、生活に不可欠なわけではない。洗濯機がなくなってみると、バスタオルを使うなんて、ばかげているとしか思えない。昔ながらの手ぬぐいのすばらしさが身にしみる。
何を着るか、何を使うかは、洗濯機の存在と切り離せない。洗濯機をなくしてみて、そのことを痛感する。靴下を洗うのはそれほど大変ではないものの、手作業で洗濯するとなると、「そもそも夏に靴下をはく必要があるの?」「夏に靴をはくのは合理的なの?」という疑問が浮かんでくる。
キルティング加工された冬用パジャマも、手で洗ってみると、「ろくでもない!」と感じてしまう代物だ。暖かさには助けられているけれど、洗濯のことを考えると、ふんわりした衣類を着るのかどうか、迷ってしまう。
ズボンやトレーナーには苦戦しつつも、手作業で洗濯してみて、「思ったよりはいける」と感じている。大量の布おむつを使っていた頃だときつかったな、綿毛布を洗うのは大変だな、とか思うけれど、今のところ何とかなっている(水道の使用量も大幅に減った)。