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自分の性質と向き合い、暮らし方を変える決意

今日は日曜日。

毎日が日曜日の鴨桜子ですが、
今日は日曜日気分を本気で味わうことにいたしました。


真面目すぎるんだよっ!

自分では当たり前のことと思ってきたけれど、実はわたしはわたしをぎゅっと縛って暮らしてきたようだ。

「こうあらねばならぬ」が強かった。

つまり規則正しすぎるのだ。

朝は6時半までには起きて、身繕いをして、化粧をして、ご飯を食べる。
そして去年までは、8時には仕事を開始していた。

寝坊したことも、ない。
化粧をしなかった日も、ない。
朝ごはんを食べなかった日も、思い出せない。
仕事をサボったことも、1日もない。

これを365日、少なくてもここ6年半はこのリズムで暮らしてきた。

これが身につきすぎてしまい、仕事を辞めた今も、どうにもハメが外せないでいたのだ。

「随分と頑張ってきたんですね」

かなり内臓がこわばっているらしい。
だから、自律神経が乱れがちになる。

昨日、整体の先生にそう言われて、
その時には「ん?」と思ったのだけど、
だって、それほど身体を頑張らせたという自覚はないので。

ところが、施術から一晩たった今朝のこと。

起きたくない

こんな革命が起きたのだ。

そして、

  • 起きなくちゃ

  • 食べなくちゃ

  • きれいに暮らさなきゃ

こんなことに支配されたいたことに、気づいたのだ。

身体が食べたくないと言っても、無理やり食べさせる。
さほど汚れていなくても、掃除も欠かさない。
だから、家の中は、どこもきれいだ。
疲れが残っていても、無理やり起きて働かせる。
困る人もいないし、仕事に差し支えるわけでもないのに、である。
自分では好きでやってると思っていたけれど・・・

これって、どうなの?

初めて、そう思った。

今朝は意を決して、自分を解放しようと、気が済むまでベッドの中でウダウダ。
意を決さないとできないというのが、問題なのであ〜る。
読みかけの本が4冊あるので、それを交互に読んだり、ウトウト眠ってみたり。
そして、ご飯も食べたくないので、食べていない。

つまり、身体からの声に真摯に耳を傾けているところ。

ユル婆さんを目指すゾ

人間、いくつになっても、変わろうと思えば変われるはず。

少しだけでも、ゆるくなろう。

去年の今頃は、バリバリと肩肘張って暮らしていたことを思う。
そして、ヘンテコな事件に巻き込まれ、パニック発作へ向かう道の途中だったことは今だからわかること。
だけど、あのパニック発作を起こしたのは、ヘンテコ事件ではなくて、わたしの性質にあったことに、この半年で少しずつ気づいてきた。
実は自分の性質についても、よく考えたことはなかった。
これでよしと思っていた。
ここまでやれたんだからという自負もあった。
ひとりでやり切らねばと、いつも肩肘張って無理をしていたのに。

この几帳面で完ぺき主義的な性質が、この数年で強さを増していたように思う。
原因は加齢か?
加齢とともに、無理がきかなくなってきていたというのに、自分を縛ることで無理を利かせていたというところか。

このままいってたら、意固地婆さんになるだけだ。

イコジ婆さんより、ユル婆さんを目指すことにして、本日はユルっと過ごそう。

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