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【昔は獣害なんてなかった?】

【江戸時代の野生動物との闘い〜その①農業編】

よくある誤解ですが、

昔は獣害なんてなかったから、
今は増えすぎだ、

獣害のなかった頃ぐらいまで、
数を減らそう、

…この場合の「昔」は、
歴史的にみて、
とても限定的な「昔」です。

じつこれは明治以降の、
わずか
100年ちょっとの間だけのコトです。

農業が始まって以降の、
二千年ほどの時間、

そう、江戸時代までは、
獣害はあたり前にあり、

「捕獲」と「防除(被害防除のこと。以下、防除)」の両輪で、
野生動物と闘い続け、関わり続けてきました。


つまり、
野生動物とはずっと闘い続けてきたのです。

そのことを示す絵の一つが、
今回の、
「成形図説(1804) 巻4」にある
このさし絵。

右側ページの右端には
木で作られた防護柵(シシ垣)がありますが、

その一部が壊れていて、穴が開いています。

「だから」といわんばかりに

柵内にシカ、イノシシが
都合四頭侵入して、

当然の如く
ヤりたい放題、食いたい放題
泊まり場を作って反芻してるやつもいる、

といった内容です。

コレはある意味、
かなりマニアックな指摘を伝えようとしているのだと、
ワタシには感じます。

つまり、
シカやイノシシは、当然のごとく、
田畑にやってくる。
そこへ
防護柵を設置して侵入を防ぐのもまた当然。
しかし、
柵をたてたからといって、
安心していてはいけない、
柵の見回り点検、補修の維持管理を
キチンとしないと、
弱い所をアタックされ、こうなりますよと。

さてさて
左側のページに目を移してみましょう。

やはり左端に人物ふたりが描かれていて、なにやら話しをしています。

彼らのそれぞれ手にもつのは、
そう、銃です。

侵入した野生動物を追い出し、
リスクがあるコトを学習させる。

条件が揃えば、
場合によって捕獲する。

この絵は、
獣害対策には、
「捕獲」と「防除」の両輪で、
野生動物と闘い続けるコトが必要であるコトを伝えているのだと考えます。


…しかしながら、現代は、
野生動物との闘いを、
再び終わらせる道を選ぼうとしているように思えてなりません。

だから、
防除については、まるで本気の取り組みをせず、
捕獲については、誰かがやってくれればよいと他人ごと。そのうえ被害が無くなるまで獲ってほしいと。

かもしかの会関西は、
失われた防除の技術を取り戻し、
現代にあった資材、方法で
新しくつくっていくコトを、
これからも実践してゆきたいと考えています。


薩摩藩が作成した農業のマニュアル本
「成形図説」卷4(1804)