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diary6


秋を待つ海の色は、見るモノの心を癒す力があるという...この海原から吹き寄せる風が、音をたててすり抜けていく。
振り返ると足跡は波にさらわれ、彼が歩いて来た軌跡はなくなっていた。
それは、過ぎゆく時の形である、と、誰かが言っていた。
消されていく足跡は、己が過してきた日々のようなものだと。
彼は煙草の火をつけようと、片手でライターを風から遮った、海鳴りため息と共に出された煙は背後に飛ばされていく。携帯の電子音が時刻を告げ、彼はそれを確かめる。
その時間には、まだ早かった。

「嵐田さん、タバコの灰 落ちますよ!
喫煙室の向う側、しばらく整理などしていない本棚に詰み重ねられた資料のすき間から、柏木理恵が言った。
「ぇ?ああ」
「ぼんやりしてると危いですよ。これだけちらかしてそろそろ片付けたらどうなんですか?」
「この方が落ち着くんだ」
「でも、机の上にも許容量ってものがあるでしょ、ただでさえ狭いスペースなのに」
「へえ、すいません」
そう言いながら、
嵐田流星はまた煙草を 1 本取り出す。
彼自身、この1年の間に煙草代が増えたことには気づいていだが減らそうという気もないし、理恵にロうるさく言われたところで、肺の方で慣れてしまっている。いうかは身体も壊れるだろうが、それも先のことで、その時になってみなければどうということもない。
「おーい流星写真あがったぞ」
「早かったな」
「ねえ奥村さん、この机ちょっとひどいと思いません?」
「あん?なんだ流星お前一体どこで仕事やってんだ?」
「うるせえ、お前のオフィスほど広かないんだからな。これだって何がどこにあるかはちゃんと判ってんだ」

「だそうです、勝手に埋もれさせとけ」
カメラマン:奥村 俊は、流星のセブンスターを失敬する。
「デスク、原稿、写真つけて出しますよ」
「おう、そこ置いとけ」
針峰出版社・文芸誌編集部の宮野部長は、校正中の原稿から眼鏡を外しもせず、ボソリと答える。
「嵐田、お前、今週の土曜は?」
「週休ですけど」
「そうか、ならいいや」
「何です?」
「いや、出番だったら休みやろうと思ってさ!」
「へえ、宮野さんでもそんなこと考えてくれるんですか」
流星は冗談半分に聞き返す。が、宮野部長は大真似目である
「お前が忘れてたらいかんと思ってな」
「忘れちまいたいんですけどね」
「早いな、もう1年か」
原稿を提出した流星は、窓の外を見やる。ビルの谷間から、汐留の貨物駅と、その向うに浜離宮の森が見える。
代り映えのない風景、古株となったブルー帯の新幹線が眼下を走る。

「1年て、何ですか?」
理恵は流星の灰皿を掃除しながら後にたずねた。
「時間にして8.760ってとこかな」
「・・・・じゃ分にすると?」
「え、ち、ちょっと待ってろ」
理恵は肩をすくめて、ファイルの山を棚に戻しながら、流星を見る。と、いつになく暗い表情をしている。
「変に立ち入らない方がいいのかな」
ひと通り片付けを終えて、自分の机に広げられた清書中の原稿用紙に向い、彼女はボールペンをとった。
「夕凪伝説」と題する、 流星に任 さ れた レ ポ ー ト で あ る 。
針峰社刊の月刊誌「旅路」の中で、流星らのチームが担当している伝説紀行の、来月号で特集する記事だった。
その原文は、伝説の本文と解説、簡単な土地の紹介をメモした女文字だった。
「進んでるか?」
流星がやってきて、清書中の原稿を見ながら言った。
「これさ、例によって物語書いてみるか?
「そうですね、伝説っていっても単に詩だけだし、登場人物っていうのも出てこないから。でもこれ、童話にはならないんじゃないかしら」
『その辺は上手に購成しなさい」
「恋人同志なんてからませたらムード出そう。悲恋もので」
「まあな、任せる。奥村、そんな計算やってないで昼メシ食いに行こうぜ」
「あいよ、理恵ちゃん、後で電卓貸して」
「ムードないのねェ」
「ムードでいっぱいになるのは胸だけだもんな。「春風」いるから何かあったら呼んでくれ」
「はあい」
流星と俊は色気と食い気の話をしながら出ていった。理恵には流星の言葉が少しばかりひっかかった。
「ムードでお腹はふくれない、か。普段の嵐田さんと言うことが逆じゃない」

何本目か煙草の煙がよりどころを失くして漂う。
彼は砂浜に腰をおろして寄せては返す波の止む事のない操り返しを見詰めている。
水平緑近くに船影がひとつ、ゆっくりと移動している。頭上の雲は少しずつ朱に染り始めて、背中越しに陽の傾きを感じ海風は肌寒さを唇に覚える。


それでも、もの静かなひととき・・
「そんなとこに座ってると風邪をひくよ」
声。耳に懐かしさを沸き立たせる、聴き慣れた声。
「待っててくれたの?私を」
「ああ」
「疲れてるみたいね。仕事、忙しいの?」
「まあな、あちこち飛び歩いてりゃお前のことも忘れられるかと思ってな」
「成果は無し、ね」
「そういうことかな、ここに来たってことは」
「去年のあなたなら、待っててなんてくれなかったものね」
「・・・そうか?」
「そうよ、いつだって待たされてたもの。私」
「・・・そうだな」
「でも、遅いよ流星・・・いまさら」
「・・・・・」
「嬉しいけど、私はもう」
「この1年な。この1年いろんなことして忘れとしたんだ。だけど、そうすればする程お前は俺に焼き着まって。・・・だめだな、どうにもならない」
「不思議ね私思うの。あの頃の貴方の方が貴方らしかったわずっと待たされてばかりだったけどね」
煙草の灰が落ちた。
いつの間にかフィルターまで焦げて流星は海を見つめたまま言った
「子供のこと、知ってたのか?」
「病際の帰りだったの。2か月目って言われて・・・どうして?」
「あの時、俺が...」
「よそうよ、もう・・・私がドジだったのよ」
前だって」
「お前いいのか?俺たちの子供だったのに・・・それに、お前だって」
「だって、仕方ないじゃない。今になってどうなるっていうの?」
「それは、そうだけど」
「本当はつらいゎよ、私だって赤ちゃん産みたかったわ。それに・:・あなたを待ってるのも、けっこう楽しかったもの」
「麻美・・・」


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