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diary7

金曜日の午前中とはいえ、客足がほとんど無い。
それをいいことに「春風」は、近頃よくマスターが行方をくらます。
「山にとりつかれてるのよね、あれは一生治らないね」
マスターの奥様がグチると、窓際のテーブルで応じる理恵も
「うちの編集の人たちもマスターの影響かしら、私1人に仕事任せて」
「嵐田君でしょ?今日は特別なのよ」
「・・・何かあるんですか?」
「理恵ちゃんいつ入社した?!
「去年の12月、途中採用だったの」
「そっか、だから知らないのか。まあ好んで話すバカもいないか」
「何をですか?」
「あらやだ、私がバカになっちゃうじゃない!」
「だって、、そんな風に言われたら私だって聞きたいですよ」
「それもそうだわね...」
後藤真琴はカウンターを出て、理恵の向いに座った
「いい?」
「どうぞ、編集部で鍛えられちゃった」
「じゃ失礼して」
真琴は小物入れから煙草を取り出して火をつけた。
その仕種を見ながら理恵は綺麗だな、と思いつつも、どうしてあんなに心地良さそうに吸えるのだろう?とも思う。
「今日ね、彼の恋人の命日なのよ」
「え?」
理恵は一瞬ドキリと、それが「恋人」と「命日」という言葉からなのは判ったが、何故驚いたのか?それは思いあたらなかった。
「・・・余計なこと聞いちゃったかな」
「誰も言わなかったの?」
「ええ」
「嵐田くんも?」
うなずいた彼女は、流星の意外な横顔を見てしまったような気持ちに、胸がしめつけられた。
「あの、その恋人だった人って?」
聞き返そうとした時、店のカウベルを鳴らして俊が入って来た。
「あれえ、マスターまたお出掛け?」
「そうなのよ。今度は弟まで連れてったから、あたしゃいい迷惑よ」
「それ、タテマエでしょ」
「判る?」
「真琴さんだって相当な山好きじゃん」
「ははは、ツケ払え」
「おー、今日は払うぜ。だからアメリカンとハムサンドね!
俊は真琴と入れ替りに座り、新聞を広げる。
「そっちも朝メシかい?」
「まさか、奥村さんとちがいますよ。お昼です」
「ま、たいして変らんぜ。まだ11時だ、昼にゃ早い」
「午後からの仕事で出掛けるから、今のうちに食べとくように言われたんだもん」
「ムキになるなって、実際良くやってるよ。理恵ちゃんは」
「・・・奥村さんは、何か知ってるんですか?」
理恵は思い切ったことを聞いた。
「何を?」
俊は活字に眼を通しながら聞き返す。
「夕風伝説のこと、何か知ってるんでしょ?」
「解説にでも行き詰まったんか?」
「ちょっとね。最後のところで」
空で覚えたその本文を、理恵は静かに語り始めた。

風の浜辺で想いを馳せりゃ
別れた者が声かける
逝った者も声かける
留まることは良いことか
迷うことが悪いのか
影を追いかけ何とする
影さえ欲しさに追いすがる
渚は想う別れ路
風吹くまでに決めようぞ
追うを止めるにゃ振り返り
追い止まぬなら振り向くな
迷い迷って風が来る
迷い迷って日も暮れる

「たいしたもんだ、暗記したんか」
俊は相変わらず新聞紙の向こう側から言うそして理恵は唐突に聞いた。
「嵐田さんは振り返ったんですか?それとも」
「な、何で知ってんだ?」
「その人なんでしょ?これ取材したのは」
「誰に聞いた?」
「あたし・・・」
カウンターの中で真琴が手を上げる。
俊は、ガサと新聞を成り出し、煙草を咥えた。
「怒んないでよ理恵ちゃんだって聞いといた方がいいと思ったから話したのよ。だいたい変に隠す方が やらしいゎよ」
「そんなもんかね・・:・で、何なのさ? きみが知りたいのは!」
「私、そんなつもりで言ったんじゃ・・・」
「ないんだったら聞かないことだな。清瀬のことは、流星が一番苦しんでるんだ。俺たち外野の口出しすることじゃない」
「きよせ・・・さん? 」
「そうかもしれないね。ごめんね理恵ちゃん、つまんないこと言っちゃって」
「仕様がないさ、いつかは彼女だって知ったろうし、遅いか早いかの違いさ!」
俊は煙覚を灰皿に押しつけるようにして捨てた後、火をつけていなかったことに気づき、もう1本くわえ直した。
広げたままだった原稿用紙の書きかけのページを閉じて、理恵はうつむく。
「物語なんて
・・・書けない」


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