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diary5

最後の半年が来た...
未だに辛くて仕方ない...
だからこそ、

この半年は2人にとって代えがたい時間であった...

麻美の教習所通いの送り迎えしながら運転の練習。その甲斐あってあっという間に上達していった。

コロナ禍のせいで
麻美の研修日がズレたりしながらも
麻美は研修手続きに行って今後の新入式までの
予定をきくのに説明会に出席なりそこそこ忙しい日々を過ごしていた。
京都研修では自分のカメラや携帯では一切禁止で文句を言っていながら
会社のカメラ使わせてもらい楽しんでいるようだった。
会議と指摘と報告書とこれから社会人であれば永遠に続く事の洗練を受けているようだ。
それでも新入社員と仲良くやっている様で安心した。
そんな中もう一度就職祝いで横浜小旅行を計画した。
研修手続きに翌日行って今後の新入式までの
予定をきくのに説明会に出席など正式な研修の始まりとかその前に無理矢理組み込んで実現させた。
その時旅行業務に就くならサインなど色々書くことが多くなるだろから万年筆をプレゼントする事にした。強い筆圧をかけなくても書き続けられ最初は慣れが必要かもしれんが、紙面をスイスイ滑らせる感覚は、クセになるはずだし疲れにくく、長時間の書き物に向いてるし結果的に集中力がずっと続くので、長い執筆作業や大量のサインが格段にはかどるはず。ボールペンやシャープペンシルにはない、ファッション性の高さも万年筆の魅力だし見た目がオシャレで、眺めてるだけでも楽しめるだろう。
まーデメリットは定期的にメンテは必要だがそれも楽しみの一つにして欲しいと思った。
ゴールデンウイーク明けの5月初旬ようやく大阪出張から帰ってくると今度は逆に麻美の方が
カメラ助手で3ヶ月間四国出張と何かとタイミングが合わない事が続いた。
やはり個人の携帯やカメラは使えないらしく
Skypeで身振り手振りで状況を教えてくれるのは楽しいやり取りだった。
そんな中でも6月中に無理やり仕事作って四国に会いに行ったって観光旅行などしたりはしていた。
その時、髪が伸びすぎて切りたいけど許可もらってるんだけど四国が台風の影響で撮影スケジュールが押しちゃっててちょっと暑いから とにかく短くしたいと愚痴は言っていた。
元総理のテロがあった時はいつも以上にヒートアップして今の政治に対して熱く語っていたのは今では懐かしい思い出ではある...

そして7月27日
母校の甲子園予選が
今年も3回戦で終わった日

ちょっとごめん
もしかしたらコロナかも
急に熱でてきた
今検査
組合の会合とか出た 因みにその人たちも昨日コロナになって検査待ちだけど辛い

ごめんねコロナ感染した
苦しい やっと入院先決まった
会社には連絡いったから
パパには話した
手続きに今四国まで向かってくれるって
このまま入院します
ごめん呼吸苦しい

麻美との最後のメールのやり取りとなった...


奈美さんからメールが来て
娘が仕事で四国に長期出張にいっているさかなに
コロナ感染してしまい
今 高知県の病院で人工呼吸の重症に陥っていて
一度旦那さんと現地に行きましたが説明だけ聞いて会社とも話したり病院も移せない状況らしい
まだまったく症状が良くならないらしい...

8月23日
奈美さんからのメールで
高知県から移送され
今、新宿医療センターにて
人口呼吸器状況を使っている様で
かなり 正直 深刻な状況下で
正直な話し
一昨日より新宿医療センターのICUに重症として移されたらしい肺がとにかく真っ白で呼吸が自活出来ていないらしい四国での病院で 正直おそらく 薬投与が遅れたのだとの話...

9月1日
その日は朝から曇りではあったが出勤前に見ためざましテレビの天気予報では雨の降る様な事は言っていなかったので油断していたが
西武新宿駅を降り地下鉄の大江戸線に乗り換える時にバケツをひっくり返したような雨に振られた。
だが振られたのはその一瞬だけで目的地に着いた時には止んでいた。
「なんだったんだあの雨は...」
(ごめんね...流星さん...)
「え!」
凪が頬を掠め、
聴こえる筈の無い麻美の声が流星の耳に届いた...
その直後
奈美さんからのメールが送信されて来た...

今朝……娘ダメでした……
でも、やっと顔みれました
コロナ憎すぎます本当に……憎すぎます
流さんと娘のやりとりメール見させて頂きました
本当に支えになって頂いたようですね
ありがとうございました
ご心配頂き、ご心配頂きましたので
すみません メールにてご報告させて頂きました

頭が混乱状態だった...

コロナ禍という事もあり
葬儀にも参列できず抜けがらの様な時間が一週間続いた...
なんとか気を紛らす様に仕事場には行ったが殆ど内容は覚えては居ない
帰宅時小包が届いていた
中には一冊の日記帳と手紙が添えられてられていた

一緒に送った日記は麻美のモノですが
私達家族より出来れば流さんが持ってもらえる方が良いかと思います。
実際に娘と流さんがやりとりしていたことも
あこそまでやりとりしていたことにビックリしましたあまり私自身もそこまでしていたことを知らなかったというのが正直なところです
今はすみません なんともいえません
すみません 今はなんとも頭の整理がついていません
こんな仕打ちどうしてと哀しむばかりなので
今はなんともいえません
すみません
まだ時間かかりますが
本当に優しく強い穏やかな娘です
この1カ月ほんとに頑張ってくれました。
いつまでも下を向いてると娘に怒られるから
少しづつ上を前を向けるようにしていきます

送付されていた手紙を読み
麻美の日記帳を手にした時
ようやく涙が出て来た...
1か月以上辛いのよく頑張ったね麻美...
いつも辛いの隠して
我慢して...
もう無理して我慢して
やりたかった仕事先で
やっと就職決まって
喜んでたのに...


日記帳の中を読むのには更に1カ月以上かかった...


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