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文章を書かないと文章は書けない。

 文章を書かないと文章は書けない。
 当たり前の話。しかし、肝心なことはそれなのだ。

 ペンを手に持って、紙に書くにしろ。キーボードに入力して書くにしろ。

 書くという行為自体はアクションからはじまる。

 もちろん、ただ文章を書くだけならできるというのはわかっている。
 僕らの目的は書くことだけではない。つまりは、ただ文字の羅列を並べたいのではない。なにかしらの意味を見いだせるものであってほしいし。その意味が目的に沿ったものでないといけない。

 だが、厄介なことは。書き始めた段階では、その目的自体が自分にもわかっていないということだ。

 言語化されていないということだ。

 だからこそ、その言語化のためのツールというのがあるわけなのだけれども。それをするに当たってはやはり書かないければいけない。

 書くというのは行為である。行動である。

 今のように、何も考えていなくても書くということはできる。

 しかし、これでは駄目だ。自分の書きたいものは煩雑な思考をそのまま垂れ流しにしたようなものではないからだ。もっとまとまったものでなければいけない。

 で、あれば、今、書くことは無駄だから、思考が整理されるまで書かなくてもいいというわけには行かない。

 人間は思考する。言語を構成するために思考する時に使うのは言語だ。

 つまり、自分の考えを言語化していかなければ、考えるというのが発展していかない。

 こうやって書いていくことで、自分の頭の中の言語の長さが増えていく。

 言語が長くなれば、深いところまでものを考えることができ、以前とは違う考えが頭から湧くものだ。

 だからこそ、書くためにも書かなければいけない。

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