そして、彼は「やれやれ」と言った

 最近、村上春樹を読んでいます。

 いろいろと思うことがありまして、大学生時代に同年代の間で流行っていた作家さんを上から下までしらみつぶしにローラーしていこうと思ったんですよ。

 じつは僕が小説を書こうと思ってたきっかけは中学生の時に読んだ『恋空』や山田悠介の『リアル鬼ごっこ』。文学は高校の時に慌てて読んだだけで。有名どころのあらすじなり、名文がどのタイミングで出てきたかは覚えていても、純粋な文学少年ではないんですよ。

 いちおう、時雨沢 恵一の『キノの旅』、上遠野浩平の『ブギーポップは笑わない』『涼宮ハルヒの憂鬱』などの0年代が履修すべきライトノベルには一通り目を通していますが、学生時代は本にお金が使えなくてですね。
 自由に使えるお金が手に入ってから、ライトノベルや本を読みはじめているタイプなんです。

 だからこそ、僕は1991年生まれの小説家志望としての教養がじつは薄いんですよ。そのくせ勉強もできないし、人と接する能力が低い。そこは僕の個人的なコンプレックスでしてね。だからこそ、本来自分がオタクとして生きていれば手に入れるはずだった教養を後から学ぼうと思っているんですね。

 平成も終わり、令和となったわけですけども。それでも僕は平成で生まれ、平成を抱えたまま死んでいく定めの人間です。だから、ある程度その時代に残されたものはちゃんと拾ってあげて、それを創作に生かしたいと考えているんですよ。

 んで、さしあたっては村上春樹の著作をローラーしてるんです。
 じつは村上春樹さんの作品は、一部、kindle化されてるんです。
 だから、ある程度は買いそろえられる。

 読んでいて意外だったのが、村上さんって比喩表現を思った以上に使っていないんですね。もっと読みづらいものかと思ってましたよ。

 でも、あくまで主人公がなにかしらの悩みを抱えていて、そして、主人公は自分が抱えている感情を上手く言語化できていない。

 さらにビックリしたのが、村上春樹さんって処女作では「やれやれ」って言わないんですね。けっこう、村上さんをパロった作品では有名な「やれやれ」というセリフ。あれ、処女作からやっているのかと思えば、じつは出てこなかったのには驚きましたよ。

 kindleだと本の文章からどの言葉が何ページで使われたか検索できるんですけどね。それで検索すると処女作の『風の歌を聴け』では「やれやれ」がないんですよ。

 村上春樹さんが「やれやれ」を使い始めたのは『1973年のピンボール』から。

ボーナス・ライト を 点け て しまう と やれやれ といった 顔付き で ボール を アウト・レーン に 落とし て ゲーム を 終え た。 そして ジェイ に むかっ て 何 も 問題 は ない、 という 具合 に 肯い て 出 て いっ た。 煙草 が 半分 燃え尽きる ほどの 時間 しか かから なかっ た。村上春樹. 1973年のピンボール (講談社文庫) (Kindle の位置No.1109-1111). 講談社. Kindle 版.

 そして、その「やれやれ」が多発したのが『羊をめぐる冒険』。そっちだとメチャクチャ「やれやれ」が多発しているんですよ。ヒット件数が11件。

 ここで主人公がどこで何のタイミングで「やれやれ」と言ってるのかは通しで読むとかなりわかりやすいんですよ。

 そもそも、『風の歌を聞け』と『1973年のピンボール』は村上春樹さん個人の精神世界の話なんですよ。基本、酒場のバーで、二人の男性がしゃべっている。『風の歌を聴け』だとそのなかでの唯一の外部のとのつながりがラジオ。そして、2作目で双子の女の子が出てきて、ピンボールに向かいあい始めてようやく「やれやれ」が出てくる。

 バーで飲んでいるときに「小説を書いてみようと思うんだ」というネズミの言葉から物語は始まるんだけどさ。自分の頭の中に閉じ込めていた思いを外に出したいという欲求でさ。その外に出るべき二人が主人公とネズミだった。そして、『1982年のピンボール』で主人公は過去に会うことを目的にすることでバーから出れた。

 そのうえで、じゃあネズミはどこに行くんだっていったら、そりゃ未来なわけで、じゃあ探しに行こうってのが『羊をめぐる冒険』だと。その羊ってのが明らかに夏目漱石のストレイトシープを意識してるんだよね。

 未来に行きたいんだけど、迷ってしまう。先に進もうと考えるほど真っ暗な道を進むことになり、羊に取り込まれてしまう。

 羊に取り込まれるってのが、読んだ限りだと悪い意味でさ。社会とか権力とかの比喩っぽいけど。言葉にすると安っぽくなっちゃって、そうじゃないんだって言いたくなっちゃうのが村上春樹さんの難しいとこだね。

 見えないストレイトシープ。しかし、先に進まなければいけない。そうなってはじめて主人公は「やれやれ」と言う。

 それ見るとさ、確かにそう言いたくなるよな、と思っちゃうんですよ。

 今の時代ってさ。夏目漱石が『三四郎』とか書いてた明治でさ。今、その時の感情や考えがどんどん古びていき、新しい価値観が求められている。

 だけど、それに気づいた時点で、僕らは「ダサい世代」になっちゃったんだよね。

 たとえばさ、カラオケで年上の上司や先生が無理してAKB歌っちゃうみたいな感じ。漱石とか明治の時代のひとが、時代が変わっていくって言いながらもどことなく暗いのがさ。

 この時代の価値観が古いものであると気づいた時点で、自分が何をしてもAKBを歌うおっさんみたいな状態になることに気づいたからだと思うんだよ。今の時点でなく、歴史的に見て俺たちが未来に向けてやることが他の時代と比べたらダサくなるんじゃないかって話ね。

 そうなるとさ、イカンこのままじゃ俺はダサいままだ。「平成」をやりなおさねばって言いたくなっちゃうんだよね。この前の仮面ライダー映画の敵キャラがそうだったんだよ。

 でも、それじゃあ問題は解決しないからさ。

 たとえ、迷い続けようとだれかが歌わなきゃいけないし、踊らなきゃいけないんだよね。好むにしろ好まないにしろ。

 そういう時に出る言葉が、「やれやれ」なんじゃないかな。

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