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7月23日のお話

予定はない、と決め込んでいた“かなめ”の2020年7月23日、連休一日目は、思いの外忙しい一日になりました。きっかけは朝一番に実家の母親から届いた大量の「美味しくない桃」です。一人暮らしの家に、1ダースの桃。それも先週も届いてやっと食べ終えたところへの追い討ちです。しかも、今年は長雨のせいで甘くない。つまり美味しくない桃なのです。普通に切るだけで食べるのはもう辟易するレベルのものでした。

宅配便の来訪で起こされ、寝ぼけながら受け取った彼女は、箱に大きく書いてある猿投の桃という文字を見て急に目が覚めたくらいの出来事でした。もはや嫌がらせのレベル。そう思いながら、早速実家に電話をかけます。

「お母さん。おはよう。うん、桃、届いたよ。うん、前のは、うん、美味しくなかった。」

電話の向こうで、「今年の桃、美味しくないのよね。」という母親は、だからもう一箱買ってあげたのよーとコロコロと笑っています。かなめの母親は、近所に懇意にしている果物農家をいくつも持ち、季節ごとに子供たちやお世話になった人たちへの贈り物として果物を送っている人でした。そして、果物の出来が悪かったり台風などで傷が増えたりした時は、「子供たち」に、大量の果物を購入して送りつけます。お世話になっている人には「今年は出来が良くなくて」と送らない使い分けをしているので、農家の方も、この人は不作のものもちゃんと買ってくれる上客として認識し、美味しい果物が出来た年には、一番良いものを買ってもらうようにとサービスをします。そういう母親の「人付き合い」の技に学ぶべきところは多いですが、不出来な果物を大量に送られてくる子供の方は、たまったものではありません。

「私はいいけど。まゆみちゃんのところとかには、控えめにしてよ。」と、弟の嫁にまで同じことをしている様子を咎めつつ、かなめは「さて、この桃をどうしたものか」と考え始めました。

「太陽が味方をしてくれない年こそ、人間の知恵と腕の見せ所。」

田舎の農家生まれの母親は、そんなことを口癖のように言いながら、かなめが物心ついた頃から、美味しくない食材を美味しくする昔ながらの知恵を教えてくれていました。美味しくないものだけでなく、一気に大量に出来るトマトの保存方法や雑草のように広がるドクダミを刈り取って傷薬にする方法。きゅうりが大きくなりすぎた時は、味噌にスルメや小海老を混ぜ込んだ魔法のディップを作り、子供たちが競って食べるようなメニューにしたり。虫が食べて見た目が悪くなったバジルはケーキに入れてしまうとか。

そういう母親の田舎的英才教育を受けてきたかなめは、東京暮らしであるにもかかわらず、まるで農家の嫁のような野菜や果物の扱いができました。母親がまずい桃を送ってくるのも、結局「私の娘のあなたなら、まずい桃も美味しく工夫して食べられるでしょ。」という教育の一環なのです。もうアラフォーになるかなめですが、母親の前ではいつまで経っても未熟な娘で、いつまで経っても「長雨が3年も続いていた1983年生まれの子」なのです。

「あの、果物も美味しくない、野菜の価格も高騰する、そんな中でお腹の中のあなたにおいしい思いをさせるため、私はいろいろな工夫をしてきたのよ。そういうものを、生まれる前から接種していたんだから。」と謎理論を振りかざす母親ですが、今では「まぁそういうものかもしれない。」と思うようになりました。

桃は、半分をコンフォートに、半分をサラダ用に置いて置こうと考えています。コンフォートも、ダイエット中で甘いものを控えたいかなめは、日本酒で煮立てる大人の味に挑戦しようと目論んでいました。こういう変化球は、母親よりもかなめの方が得意です。

一手間もふた手間もかかりますが、手間をかければ美味しくないものも美味しくなるということがわかっていることは、人生においても大切なことです。むしろ、東京で出会う多くの自分よりも若い子は、お店に行けば美味しい果物が並んでいことに疑いを持たず、なんでも思った時に手に入り、お金さえあれば大抵のことは思い通りにできると考えている節があります。しかし現実は、どれだけ今の科学技術が発達していると言っても、農家や肥料企業が努力をしても、太陽が出なければ良い作物は育ちません。雨もあって、晴れる日もある。そのバランスで、自然界のものは甘くもまずくもなるのです。

人間には、まだまだままならないことがある。そう思うことが、「ではどうすれば良いか。」と工夫を考え始める第一歩になると、かなめは常々感じていました。

美味しくない桃を美味しく食べたい。どうするか。

大量のニンジンが収穫できたからお裾分け、と送られてきた。一人で食べきる量ではない。さて、どうするか。

長雨でプランターの葉物の生育が悪い。水のあげ方をどうするか。

湿気が多くて寒い日。クーラーの除湿は寒すぎる。では、どうするか。

職場の同僚が、高圧的な性格で周囲が萎縮してしまっている。どうすれば良いか。

プロジェクトチームのメンバーが忙しすぎて、プロジェクトが片手落ちになっている。どう対処するのが良いのか。

この思考パターンは、食べ物だけでなく、生活全般、仕事に対しても展開が可能です。自然という大きな力の前に、ままならないことがたくさんあるのが自分なのだという基本的な立ち位置があるだけで、ままならないことを受容できる心の準備ができるのだと、かなめは分析しています。

だから、母親からの果物の送りつけ襲撃以外にも、彼女は意図的に「ままならないもの」を周囲に置いています。

プランターの植物、虫嫌いなのに買ってしまった虫かごと鈴虫の幼虫。ペットとして同居している小動物。それらは自分とは違う生命体として、かなめの思い通りになることのないものたちで、それらと付き合うということは、それらに寄り添い、合わせながら自分を工夫していくということの実践になるのです。

本来であれば、かなめくらいの年齢だと、自分の子供、という尊い存在がいて、それが最もたる「ままならないもの」なのだと彼女もわかっています。わかっていますが、自分はそういうものに縁がなさそうだということで、様々な工夫をして得られる経験の幅を広げているのです。

そういう自分の環境、子供を持つことができそうにないと言う人生こそが、かなめにとっての「ままならない」の際たるものかもしれませんが。

日本酒の良い香りとともに、昼過ぎにはコンポートが出来上がりました。

あとは、片付けて、サラダ用の桃の下ごしらえをして、同居する生命体たちの世話をして。昨日の夜は少し飲みすぎて、気分が落ち込み気味だったかなめですが、連休初日にしてはとても充実していて体調が良くなってきたようです。

結局のところ、人間は、色々工夫をしたり、考えたりしながら、ちょうどよく働くことほど、体に良いことはないのだと改めて思います。そういうことを、童話に認めた宮沢賢治という作家はすごい、と思いながら、残り3日ある休日、このリズムを崩さないように日頃できない「働き」に時間を使ってみようと考えていました。

着想 宮沢賢治 銀河鉄道の夜 鳥捕りの台詞より
「ああ、せいせいした。どうもからだにちょうど合うほど稼かせいでいるくらい、いいことはありませんな」

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