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11月6日のお話

「うち、来ますか?」

この歳になって、終電を逃すなんていうシチュエーションは確信犯だろう。目があった時、おそらくお互いに同じことを思ったのでしょう。

彼女の方が、先にそう切り出しました。

「うちの方が、近いですし。タクシーで。」

さて。そう言われたときの男性の回答の正解はなんでしょうか。彼は脳内で一瞬で数多くの回答候補を参照し、こう答えます。

「あ、いえ。僕は適当に、その辺で始発待ちますから。」

「その辺でって…。」

11月の夜はすっかり冬の様相です。外で過ごすには寒すぎますし、最近はコロナ禍で深夜営業をしている店も、この辺りではほとんどありません。

「それは、私が、申し訳なくて嫌やわ。ダメです。うち、来てください。」

冬はこういう口実が作りやすい。女性から誘いやすい季節でもあるし、男性もそう言われたら許諾しやすいものです。

「…。じゃあ、ありがとうございます。」

お互いにこういう展開は初めてではない年齢ですが、人生のうちにそう何度もあることではないからか、そう話がまとまった時は妙な緊張感が二人を包みます。

まずはタクシーを。そう言って目を背ける様に大通りでタクシーを呼び止める彼女を、彼は少し眩しそうに眺めていました。

彼にとって、少し年上の彼女は、仕事の出来る憧れの人でした。職場が同じですが、仕事内容は全く違います。しかしプロジェクトで一緒になってからというもの、お互いに、たまに食事をするくらいの関係性にはなっていました。その関係性も、今日でまた少し変わるのかもしれません。本当に良いのか、という気持ちを振り解く様に頭を振って、彼女に続いてタクシーに乗り込みました。

タクシーの車内で、二人の間には妙な距離があります。恋人ならここですぐに手を繋ぐでしょう。しかし二人はまだそうではないので、お互いに両サイドの扉に身を預ける様に座っており、真ん中にもう一人座れそうです。

「あの、始発になったら、帰りますから。すみません。」

今日で関係性が変わるかもしれない、という期待も、車内の距離と沈黙にあっさり挫けてしまい、彼はみょうに明るい声でそう言いました。彼女の方は、ちらりと彼を一瞥すると言いました。

「気を遣わせてしまったみたいやねぇ。こちらこそ、ごめんなさい。でも風邪を引かれたら後味悪いやん。せやから、気にせんといて。」

彼女の内心は、タクシーの運転手さんはどう思ってはるんやろうと苦笑いをしながらです。もう少し慣れた男子かと思っていましたが、意外とそうでもないのかもしれません。彼女だって、別に慣れているわけではありませんが、こういう時に長女気質を発揮して”お姉さん”な強がりを見せてしまうのです。私は平気やで、という雰囲気が、余計に彼を萎縮させるのも感じていましたがもう後戻りはできません。

15分くらい走ったところで、彼女の家の前に到着しました。

平然と、男性を家に招き入れようとしている彼女に、彼の足は急に重たくなりました。そういえば彼女に特別な人はいるのでしょうか。そういう話題は意識的に避けてきましたが、彼女の容姿や性格からするといてもおかしくありません。むしろいない方が不思議です。そういう人がいるのであれば、自分が今から踏み入れようとする部屋は、普段はその人が招き入れられている空間ということになります。

それは、やだな。

扉の前まで来て躊躇してしまったのは、そういう気配を見せつけられることへの抵抗があったからです。彼女に対しては片思いに似た憧れを抱いていたこともあり、他に男がいるかもしれないと予想していても、それを突き付けられるのに耐えられるかというと自信がありませんでした。

「あの、今更ですが、その、大丈夫なんでしょうか。」

玄関で靴を脱ぐ直前、招き入れてくれている彼女を目の前に彼は絞り出す様な声でそう言いました。出来るだけ部屋の中は見ない様にしていたのは、見たくないものを見てしまう恐れがあったためです。

「え?」

そういう彼の態度に、彼女は意外そうな声を上げます。

「ごめんなさい、そんなに、いややった?」

慌てた様に謝る彼女に、彼は大きく首を振りながら、いやとかではないですが…と言葉を濁して俯きました。

「この部屋に、異性が入るんは初めてやから、居心地は、その、悪いかもしれへんけど。風邪ひくし、そこにたってたら。中に来て。」

彼女にそう言われて、彼は「え、彼氏とか、いないんですか。」とつい確信めいたことを口走り、慌てて口をつぐみました。

「直で聞きますねぇ。おれへんよ。流石の私も、おったら誘わんよ。」

もうアラフォー近いのに、彼氏がおらんって、微妙やって思ったんちゃう?と茶化しながら招き入れてくれる彼女は、徐々に敬語が解けて行きます。彼はたまにある、彼女のフランクなそういうところが大好きでした。

「すみません。じゃあ、お邪魔します。」

色々と心配していたことが溶解していき、彼もようやく、彼女の部屋のソファまでたどり着きました。

「ソファで休んでもらっていいから。毛布か何か、持ってくるね。」

てきぱきと環境を整えてくれる彼女を目で追いながら、彼は心の中でまた別の葛藤を繰り広げていました。このまま彼女は寝室に引き下がり、自分はソファで休むことになるのか。それとももうすこしソファで彼女と過ごすのか。

そんな葛藤を隠す様に、口では全く関係のないことを話します。

「あの、あそこのドライフラワーみたいなの、ほおずき ですか?」

部屋の白い壁に、一際鮮やかな赤い実の存在感はとても大きく、部屋に入った途端に目に止まりました。冬にほおずき、というのも珍しいし、ほおずきをドライフラワーとして飾っているのも珍しいと感じたのです。

「そうそう。ほおずき。夏、オフィスの私の執務室にあったの覚えてへん?」

お茶煎れるね、とポットでお湯を沸かしながら、彼女はそう言いました。そう言われてみれば、夏に、ほおずきを見かけたことがある様な記憶が蘇りました。確か、7月のお盆の頃だったかに、大きなほおずきがあって。

「ほおずきって、ご先祖様が宿るんやって。」

彼女のその言葉に、既視感を感じ、記憶が鮮明に戻りました。同じことを、オフィスで、お盆の時に彼女から言われました。確か盆帰りの宿にするという関東の風習を、取材に来ていた記者から教わったとか何とか。みょうに嬉しそうに、「そういうの好きなんよね。」とはしゃいでいたのを可愛らしいと思ったのでした。

「…片桐先輩。」

彼からそう呼ばれた彼女は、マグカップにお茶を注ぎながら、何気なく「なぁに?」と答えました。

「僕、先輩のこと、好きです。やっぱり。」

「え?」

彼女は驚いて、顔を上げました。

「ほおずきの時、可愛いなって思ったんです。それで、今も。」

「え?ほおずき?え?わ、アツっ」

自分から部屋に誘ったくせに、妙にしどろもどろなる彼女に、彼は苦笑いをしながら、「気をつけてください、先輩。」といつもの調子で宥めました。

「大和くんは、変わってるね。」

すこしこぼれてしまったお茶を拭きながら、彼女は困った様な顔で笑いましった。

「それって、僕の気持ちに対する返事ですか?」

「ん、どうやろ。」

「返事は始発の時間までに、もらえると嬉しいです。」

外から、新聞配達のバイクの音が聞こえてきました。ずいぶん遅くまで飲んでいたので、すでにそんな時間です。

「始発までって、あと30分くらいやん。」

そう言いながら、彼女はふと、大学時代に聞いた始発にまつわる男女の話を思い出しました。

「そういえば、始発すぎる前の30分が、一線を超えちゃう確率が一番高いって話を昔聞いたことがあるわ。」

そういうつもりがなければその時間はお互いに寝ている。そういうつもりが少しでもあれば、その時間は張り詰め続けた理性の持久力が落ちてきている時間。始発になったら帰らなければという焦りも手伝って。という理由があるそうです。

「それって、僕の気持ちに対する返事ですか?」

「ん。どうやろ。」

「先輩って、実は意地悪ですね。」

そうしているうちに、ソファの二人の距離が少しだけ縮まっていました。冬の夜明けまではまだ数時間。始発が動き出してからも、明るくなるまでにはまだ少しかかりそうです。

FIN


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